いまの若者はけしからん! というのは古代エジプトの古文書に書いてあったこと――メソポタミア時代の粘土板に書かれていたというハナシもあるけど、未だにキッチリとしたソースを見たことがない。小林登志子氏の名著『シュメル――人類最古の文明』にも当該エピソードはなかったし――というのが真実か否かはわかりませんが、ともあれ昔から言われてきたことであることは間違いないのでしょう。
こういうことを口にする人間の半分くらいは、心底、「昔は良かった」と思っているのかもしれませんが、手前も含めた残りの半分くらいは、昔より今の方がよくなっていることが多いことを自覚しつつも、過去に対する憧憬(若い頃は何事も初めて体験するものであって、何でも輝いて見えるものだし)と、すれっからしで何事にも不感症になってしまった現状とを、ついつい客観的に比較せず「昔は良かった」と感じているものではないでしょうか。
要するに、「わかっちゃいるけど、過去を思って今の不遇を慰めたいよ」ということ。Whitesnakeのデヴィッド・カヴァデールは、85年にDeep Purpleが再結成したとき、自分に一言も声が掛けられなかったことに気分を害して、「過去を思うのはいいが、過去に生きたくはない」という大名言を残しましたが、これは全面的に正しいと思うのですよ。もっともカヴァデールは、87年に過去の曲をカバーして食言。結局、これが大ヒットして第一線に復活したんですが……。
菅vs小沢の対決は、ニッカ、サントリー、オールドパーの頃から三角大福中、安竹小とか金竹小、軍人凡人変人の頃と比べても著しくレベルが低い――そもそも21世紀になってから何度同じ人間が復辟するのか?――と思うし、そのレベルの低さを一々あげつらうのも面倒くさいと思うし、こう思うのも「昔は良かった」補正で過去を美化して現状を貶めているだけでもないのではないかとも思います。
でも、結局のところしばらくは総選挙がないこと、数千円払って民主党員になって投票したところでほとんど意味がないことを考えると、報道されるニュースに一々心を動かされるのは人間ができていないということなんでしょう。何を言ったところでいまあるモノで凌がなきゃならないわけで、菅と小沢がダメだからといってその代わりが海江田、前原、岡田、原口、田中真紀子とかであることを考えたら、「もしかして菅、小沢の方が良かったかも」と感じるのは必然だろうし。
1年前に週刊朝日が書いたようなバラ色の未来はこないし、自民党のように“そこそこの善政”を敷くことも期待できない政権に対して何かアクションを起こすとすれば、来年の統一地方選挙で、自民党候補に投票することくらいでしょうか。
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