「この日は三連戦の初戦であり、ロッカールームでそのミーティングが開かれていた」
「ところが、東京ドームのロッカールームは細長く、モニターの前に全員が集まると非常に窮屈になる。そのためかどうか、ベテランの小早川さんと若手の副島孔太(ヤクルト→オリックス。〇四年引退)がモニターの後ろで話を聞いていた」
「ミーティングが終わり、選手が着替えを始めると、部屋全体に聞こえるような声で、あるコーチが副島に向かってこういった」
「『おまえはなんで画面を見ないんだ。小早川はいずれ引退しなきゃいけないが、おまえはまだ若いんだから、モニターをちゃんと見てなきゃ駄目だろ』
「それを聞いた瞬間、ぼくはやりきれない気持ちになり、怒りがこみ上げてきた」
「『おまえはなんで画面を見ないんだ』まではいい。しかし、『小早川はいずれ引退しなきゃいけない』とはいったいどういうことだ。~~中略~~いくらなんでも、いっていいことと悪いことがあるではないか。なぜもっと選手に対する敬意や愛情を持てないのか……」(169~170頁)
怒りに燃えた池山は、この試合をボイコットする。トレーナーに事情を説明したうえで試合途中に腰が痛くなったことにして、2打席で引き下がると登録抹消され二軍に行った。結果、28試合欠場したという。この経緯を知っているのはトレーナー、一部の選手だけで、家族も若松勉監督も知らなかったという。
その場で怒りをぶちまけたり、ハイタッチ拒否をしたりするような“わかりやすいヤンチャ”をするほど子どもではないものの、義憤を形に表さずに済ませられるほど大人でもない。
池山のとった行動には正直疑問が残るが、どうにもやりきれない、大人になろうとしてもなり切れないほどの怒りを感じたときに、身を捨てて行動に示した――この時点では、岩村明憲選手とのレギュラー争いが完全な決着をみていなかっただけに、「ケガで二軍に落ちる」ことは、池山自身にとって極めてリスクの大きな選択だった――ところが池山らしい。
チームの精神的支柱でありながら大人になり切って何も行動しなければ、選手の心は離れていくだろうし、“わかりやすいヤンチャ”をすれば自分を慕う一部の選手やファンは喜ぶかもしれないが、多くの選手や首脳陣、フロントは「ただのガキ」「野球バカ」「人の上に立てないヤツ」と見下すことだろう。
子どもになるか大人になるか? ある意味で窮極の選択を迫られたとき、自分なりにベターな答えを出して果敢に行動したエピソードを見るに、池山が単なる熱血キャプテン、振り回すだけの野球バカでは終わらないパーソナリティを持つ男といえまいか。
「『監督は社長、選手は社員』という信条通り、ぼくはどちらかというと上の人のいうことには素直に従う方だ。しかし、あのときはどうしてもあのコーチの発言を許すことができず、怒りとやるせなさをああいう形で表現するしかなかったのだ」
「彼も根っから悪い人だとは思わない。そうではなく、たぶん心の弱い人なのだ」
「ぼくはこの『事件』から、他人に対する態度や言葉がいかに重要かを学んだ」
「じつは、のちに引退を決めたとき、球団からは『二軍コーチにならないか』と誘ってもらった。しかし、ぼくはお断りした。野球理論はもちろんのこと、もっと自分の人間性を磨かなければ他人を指導することなどできないと思ったからだ」
「そういう意味で、この『事件』はぼくの人生にとって大きな節目となるものだった」
(170~172頁)
この事件を経て選手とのコミュニケーションに如何に心を配るべきかを学んだ池山は、少なくとも無神経な言動で選手を敵に回すことはないのだろう。そしてこのことは、これからコーチ人生を送るにあたって強力な武器になると考えられる。
大久保博元が打撃コーチとして一定以上の成功を収めた理由について、若手とのコミュニケーションが上手かったことを指摘する向きもあったが、これも掘り下げてみれば池山のケースに重なる点が多い。大久保が現役時代に、先輩やコーチから「デブ!」「減量しろ!」と心無い言葉を浴びせられてとき、藤田元司監督だけは「お前は、痩せたら力が落ちるんだからそのままでいい。その代わり捻挫なんかしないように足腰を鍛えて力をつけろ」(「『情』のリーダー論」藤田元司著。167頁)という言葉をかけたという。打撃コーチとしての成功は、このことに涙を流すほど感謝したという経験があったことも大きな理由の一つといえよう。
「野村ID野球」の口伝、後述するバッティングスタイルを大胆に変えた経験、そして上記のような得難い経験と決断をした池山は、同世代のOBのなかではコーチとしての潜在能力が相当高いように思えるのだ。
(つづく)
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