グウィネズ州へ要求権捏造工作を指示してから1年後、待望の男子(マルドゥド)が誕生。翌月、教皇よりエルサレム奪還の十字軍に誘われるも、これを断る。グウィネス公爵との戦争が待っているのでね。というか、十字軍に参加している諸侯同士は戦争できなくなってしまうので、これはもう自動的に断らざるをえないと。翌年には次男(イオ)、その3年後には三男(ブラン)が誕生。これで後継者のバックアップもバッチリだ!
そして1098年、とうとう要求権捏造工作が実を結び、グウィネズ州奪還(=ただの侵略)戦争を始める。戦争は1年で終了。当然のことながら我が軍が勝利。2つの新州区を作れるグウィネズ州への遷都を敢行する。これにあわせて評議会も一新。元帥、家令、司祭には技術開発を担当させる。デハイバース公爵領の封建的招集軍に関わる法律も「標準」から「最大」へと変更した。
1109年、グウィネス公爵との休戦期間が終わったのを見計らって、家臣であるグラモーガン伯爵の持つ「ポーイス州の要求権」を行使すべく、再び戦争を行う。4つの州を持つデハイバース公爵が、傷ついた2つの州しかもたないグウィネス公爵を下すのは、もはや作業といっていいレベルのことなので、詳しい経緯は省く。ともあれ、ポーイス州も得ることとなり、デハイバース公爵グウェン1世は、一代にしてウェールズ地方の6プロヴィンスのうち5つを切り取ることに成功した(なお、1104年には「公正王」の異名を獲得している)。
こうして1110年3月6日、グウェン1世は、グウィネス公爵マドックから「グウィネス公爵」の称号を簒奪するとともに、「ウェールズ王」の称号を創設。ここにウェールズ王国建国を高らかに宣言した。
――というわけで、以後、グウェン1世崩御(1143年)までの30余年の流れは、年表モードで簡単に紹介することにします。
・1114年、後妻の要求権を行使して、アイルランドのキルデア州を獲得。
・1116年、グウェント伯爵によるデハイバース公爵簒奪の陰謀を察知。伯爵の投獄を試みるも失敗。反旗を翻したグウェント伯爵に対する膺懲戦争を敢行。
・1117年、グウェント戦争終結。グウェント州剥奪により、これを直轄地とする。
・1118年、「標準的な国王の権威法」を制定。
・1120年、ペルフェドゥラッド伯爵(元グウィネス公爵)に対して、ウェールズ王国の慣習的要求権を行使。宣戦布告する。
・1121年、ペルフェドゥラッド戦争終結。ここにウェールズ王国の統一成る。
・1129年、本領であるグウィネズ州に新たな城砦区を作る。
・1138年、ビザンティンを巡る十字軍に参加(1141年、十字軍成功)。
・1140年、本領であるグウィネズ州に新たな城砦区を作る。
・1141年、「都市招集軍」の法律改正(小→最小)。
実は1100年に妻の暗殺を図ったり、息子と孫娘を結婚させるというフサイチコンコルドも真っ青な婚姻を成立させたりと、いろいろあったんですが、これまでのペースで全部紹介してしまうと、1カ月経ってもblogを更新し続けなければいけないので、以降はプレイ終了まで年表モードを基本にします。
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