2011年3月6日日曜日

原、落合、岡田の“監督力”:その4

「偉そうなことを書いている割に薄っぺらい」という原辰徳とは対照的に、岡田彰布は「全く偉ぶらないけど薄っぺらくない」ことを書いています。既刊3冊とも、熱烈なタイガースファンのオッサンの繰言みたいな語り下ろしで、その内容はほとんど同じです。今回は、その中で最も良くまとまっている『オリの中の虎』(ベースボール・マガジン新書)を取り上げてみます。

岡田は、原のようにとってつけたようなことや奇麗事は一切言いません。無防備なほど本音をさらけ出しています。その本音が最も素直に表れているのが、以下に引用した部分といえましょう。

「2試合連続で、ぼこぼこに打たれて負けた(5月27日、28日、甲子園)。選手をトレーニングルームに集めて、おれはこう言った」
「『もうチームのことはええから……。チームが勝った負けた、チームの成績がこうなったいう結果は、すべておれの責任や。チーム成績に対する責任は、監督が取るから、もうおまえら選手が考えんでもええ。好きなようにやれ。自分の数字を上げるために、自分の給料を上げるために、家族のために野球をしたらええ。そうせえ』」
(中略)
「生活かかってるんやから。チームが弱いから、給料減りましたではあかんのよ。家族のために、自分のために、個人の数字を残すために思い切りやったらええんや」(59~60頁)

落合博満と全く同じプロ野球観です。すなわち、徹底した個人プレーの集積がチームの勝利に繋がるという考え方です。実は原も同じようなことを言っているのですが、その意味は岡田、落合のそれとは180度異なるんですよ。

「僕は選手にこう言った」
「『勝ち負けは、もう監督である僕に任せてほしい。選手諸君は、勝ち負けに囚われる必要はない。プロとして、ファンを魅了するプレー。それに徹してくれ』」
(中略)
「試合をすれば、当然勝ち負けはついてくるわけだが、そこにはそのときの運もある。それより選手はもっと自分たちの足下の部分――試合の用意、準備、そしてファンを魅了するプレーに徹しよう、と」(『原点』107~108頁)

そもそも檄を入れるときに、「ファンを魅了するプレー」なんてぼんやりした言い方をしちゃダメだろ! もっと直截的に響く言葉を言わなきゃ――なんて突っ込みはさておいて、原のいうファンを魅了するプレーとは一体どういうことなのか? 『原点』から探ってみるとこんな記述があります。

「諸葛孔明にならったわけではないが、僕がシーズン中に出す監督賞の基準はただ一つ。僕がファンの気持ちで「やはりプロだな」と感動したプレー。それに対し、監督賞を出すことにしている」
(中略)
「ピッチャーなら完封すれば、もう無条件。打者でいえば逆転ホームラン」(168~169頁)

つまりこういうことです。

岡田、原とも「勝ち負けは監督の責任」と言いながら、岡田が「プレーは自分自身のためにやれ。後の責任は無条件でオレが取る」という潔い態度であるのに対して、原は「責任は取るけどプレーはファンのためにやれ。要するに完封、タイムリーという勝つためのプレーに徹しろ」と、一見、潔さげに見えながらも実は全然責任を取るつもりがないってこと。

この辺の監督としての腹の据わり方が、岡田、落合と原を分ける決定的な何かなのではないかなぁ? と思うわけですよ。



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