2010年10月5日火曜日

<絶版兵頭本>紹介@『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力』:その2

◆第二次大戦前の軍用機
・今回の企画は第二次大戦機の1/72模型を並べながら論ずるというもの。

◆大戦間のフランス機
・戦間期に双発爆撃機が多いのは「流行」。ドウエ理論に触発されて自ら防御できる装甲と武装を持つ爆撃機を作るようになる。ドウエは旋回機銃の威力を過大評価していた。
・フランスの防空思想は「偵察機中心主義」。フランス防衛の主力は陸軍、その陸軍のために隣国の動員&集結状況を探って知らせるのが第一任務とされていた。

◆イリューシン4と一式陸攻
・日本海軍の航空隊は、案外ソ連軍機に影響を受けていて、仮想的のアメリカ軍機はほとんど眼中になかったのでは? という仮説。むしろ日本陸軍の方がアメリカ空軍を意識していた。
・イリューシン4は長距離を飛行して雷撃ができた。まさに日本海軍が求めていたコンセプトそのもの。試作機であるDB-3の初飛行は37年、改善型のイリューシン4は39年完成。日本海軍が一式陸攻の設計指示を出したのが39年。九六式陸攻の魚雷型と一式陸攻の葉巻型とは飛躍がありすぎる(一方、イリューシン4とは側面図がそっくり)というのも状況証拠の一つ。

◆Me109
・「メッサーシュミット109は、中学校の世界史の教科書に載せていい唯一の戦闘機。その絶頂期は、1938年のチェコ併合です。ヒトラーには数百機のMe109があった。チェンバレンにはまだ6機のスピットファイアしかなかった。フランスにはマジノ線しかなかった。だから英仏はミュンヘンで宥和するしかなかった。こんな『戦果』をあげた戦闘機は、歴史上、他にありません」(22頁)
・Me109は第一次大戦の当然の結論。レッドバロンでさえ最後は落とされた。格闘戦で少しでも損耗すれば連合軍の数には勝てない。少数機で押し切るためには一撃離脱に徹するしかない。こうした戦訓からMe109が生まれた。

◆戦間期の中国大陸
・日本機の武装が弱装なのは「バネ」を自製できなかったから。自動火器の「バネ」は究極の特殊鋼なので、戦前の日本には小さくて強力なものが造れなかった。
・日本のパイロットが格闘戦にこだわったのは、平時の操縦性の良さを欲したという隠れた本音があるのでは? 重くて速い飛行機が強いのはわかりきっていたけど、平時の訓練で着陸するときに壊してしまう可能性が高い。これを嫌っていたのではないか。

◆日本陸軍の重爆とアメリカ陸軍の重爆
・貧乏で多くの機体を調達できない日本が出した結論は、「ドウエ理論の半分である1t爆弾を積む飛行機にして、その代わり出撃回数を増やそう」というもの。これが世界一ダメな爆撃機を生むことになった。
・航空撃滅戦は第一撃が勝負。第一波が戻っている間に、相手は体制を立て直しているから第二波を掛けるのは単にやられに行くだけ。
・だからこそ、ドイツみたいに搭載量を重視して第一撃に全てを賭けるべきだった。航続力の要求はないのだから、日本にも十分造れたはずだ。

◆ドイツの双発爆撃機
・39年の東方電撃戦は「動員奇襲」。旧来の爆撃機では敵国の鉄道網を確実に破壊することは不可能だったが、スツーカが初めて可能にした。鉄道網を寸断して敵の動員を遅らせて勝ったのがポーランド戦。
・宣伝でいうほど空地は協力していないのではないか? FMボイスで空地交信できたのはアメリカだけで、ドイツはずっとAMだった。

◆零式艦上戦闘機
・昭和17年、菊池寛が陸軍航空隊の幹部にインタビューしたところによると、「歩兵は100人いれば長が能無しでも100人分の働きはするが、航空隊は長がダメだと戦果ゼロ」とのこと。
・南方での緒戦でイギリスのパイロットだけはオーストラリアに逃げずに最後まで空襲を仕掛けてきた。日本の爆撃隊なら高射砲弾が炸裂する空域からは一刻も早く逃げようとするのに、かれらは何時間も粘っていた。

◆隼
・緒戦で陸軍は空軍の援護距離を超えて侵攻作戦をしない冷静さがあった。しかし、海軍がソロモンで航空消耗戦を勝手にやったとき、「南東方面作戦はやめるべき」と主張していた大本営参謀の久門中佐が事故死してから歯止めがきかなくなったようだ。
・航空機の進出限界を念頭におけば、インパール作戦も距離的には無謀とはいえなかった。ただし、その頃にはラバウルとニューギニアで陸軍航空戦力をドブに捨てていたために実施不可能になっていた。

◆ワイルドキャット
・日本海軍の航空部隊の命令系統は、下士官をパイロットにしたことで破壊されていた。兵学校出の未熟な士官が編隊長になっても、いざ上空に上がったら部下の下士官パイロットは命令をきかない。実質リーダーが不在なので、文字通り烏合の衆。統一指揮された米軍に勝てたら、その方がおかしい。
・当時の海軍航空隊の下士官が元気なのは、普段でも陸軍よりメシの良い海軍で、航空増加食を食べた上、覚醒剤を打たれて飛んでいたから。

◆紫電と紫電改日米の戦略任務機
・貧乏国の戦闘機は、機体も訓練も一撃離脱に徹するしかなかった。絶対に補充がきかないんだから。少飛くらいじゃ本気度が足りない。小学生をモロに乗せる「小飛」くらいをつくってようやくアメリカと戦えた。疎開させたって空襲で子どもは殺されるんだから。
・英国教導団のセンピル大佐が大正11年に帰英した後の講演で、「日本のパイロットはエンジン音が危険を告げているときに何の行動も取ろうとしない。危機を五感で感じて臨機に対処できない」と報告している。こういう日本人の鈍感さは終戦まで続いている。ミッドウェイで負けたのも海軍人がみんな百姓だったからとしか言いようがない。

◆日米の戦略任務機
・九二式重爆は「フィリピン・ボマー」。台湾からフィリピンの米軍航空基地を奇襲するために作られた。そうでなかったら陸軍が4発重爆を作る必要はなかった。ソ連の航空基地は黒龍江の向こう岸にあるんだから。

――以上、兵頭二十八師の発言を中心に紹介。他の三氏の発言もとても面白いのですが(スピットファイアへの酷評、陸上機と艦載機の違い、液冷機と機首の太さとの相関関係etc)、あくまでも<絶版兵頭本>という観点からの紹介のため、敢えて取り上げていません。

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