2012年6月21日木曜日

『新解 函館戦争』に親しむ2つの方法:その2

『新解 函館戦争』の最大の特徴は、徳川脱籍軍が函館に向けて宮古湾を出港した明治元年10月18日(旧暦)から、降伏して五稜郭を明け渡した明治2年5月18日(旧暦)まで、ほぼ毎日に渡って戦況や政治状況を再現していることにあります。横書きで教科書のような体裁ですが、日付ごとに小見出しが入っているので検索しやすく、「誰が、何を、いつ、どこで、どうしたのか?」という5W1Hをササッと調べられるところが素晴らしい。

昨日は旧暦で5月11日ですが、この日に何が起きたかといえば「土方歳三が戦死」「函館山陥落」「五稜郭は東の湯の川以外、完全包囲」と、事実上、徳川脱籍軍が完全に詰んだ日だったりします。で、こういったことは、この本をササッとめくれば1分とかからずに調べられます。ある意味、Google先生より使いやすい。こういった戦記モノは、案外ありそうでなかったりします。

というか、日付からしてあやふやな記述の多い古文書や日記から、正確な日付を割り出しつつ各種イベントと照らし合わせ、1日ごとに「当時あり得た情況」を推定しながら、現代風にかつ誰にでもわかりやすく書く――なんてことは、想像するだけで面倒くさいですからね。他の史家や作家が書かなかったのもむべなるかな。

ともあれ、軍師の偉業(もう間違いなく偉業です)により、誰にでも函館戦争を巡る日々の情況が手に取るように理解できるようになったわけですが、1日ごとにつぶさに再現された情況をじっくりと読みつつ、添付の地図やGoogleマップなどを参考にして、「この日にどう動いたのか?」「あそこはいつ陥落したのか?」といったことを反芻していくとですね、いろいろと新たな発見もあったりするわけですよ。

例えば、鉄道のない時代における軍隊の行軍速度について。4月11日、江差に上陸した政府軍が、1日で小砂子まで進出したことから、「すでに占領した地域を行軍するのであれば、1日で30kmくらいは進めるのだナァ」ということがわかります。一方、敵地を進むとなれば、例え一度も銃火を交えてなくても、1日で20kmくらいしか進めないのだろうということは、10月22日午後に砂原に泊まり、10月24日に約40km先の川汲に到着した土方軍の行程を見れば理解できます。こうした“常識”も字面では知っていましたが、心から理解したのは最新刊を地図とにらめっこしながら再読した後のことです。

もう一つ、手前にとっての新たな知見を挙げるなら、「徳川脱籍軍はなぜ、二股口で2度も政府軍を撃退した一方で、木古内では簡単に蹴散らされてしまったのか?」という疑問が、完全な形で氷解したこともあります。この“答え”は、是非、本書の中から見つけてもらいたいので、敢えて書きません。念のために書いておくと、“答え”は「はじめに」「おわりに」「章の冒頭」のダイジェストを読んだだけでは、多分わからないと思います。手前は、地図とつき合わせてじっくりと熟読して初めて腑に落ちました。念のために書いておきますが、二股口を護っていた土方歳三が名将で、木古内を督戦していた大鳥圭介が愚将だったわけではないといえそうです。

で、こんな感じでじっくりと読み進めていくと、当時の武器や兵站の限界、鎮台以前の兵士の士気と戦術、追撃時の蛮風……etcなどから、戊辰戦争から西南戦争までの「近代における武士の戦争」の実態も、知らず知らずのうちに理解できていくわけです。この辺のことも、「作戦」「兵站」「武装」といった項目ごとに整理されて書かれていれば、頭で知ることは容易だったと思いますが、身体で理解することが難しかったと思います。1日ごとの再現ドキュメント形式だったからこそ、簡単に腑に落とすことは難しい分、一度しっかり腑に落とした結果、キッチリと身につけられたというところでしょうか。

とまぁ、つらつらと思いついたことを書いてきたわけですが、要するに何が言いたいのかというと、「折角2000円出して買うなら、骨の髄まで味わうべし。実際、それだけの価値のある本だし」ってことですよ。

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