●目次
・序章:“愛”は巨人を救うのか?
・第1章:キャッチャーは、頑丈である
・第2章:キャッチャーは、タフである
・第3章:キャッチャーは、土台をしっかりつくる
・第4章:キャッチャーは、研究熱心である
・第5章:キャッチャーは、信頼される
・第6章:キャッチャーは、用心深い
・第7章:キャッチャーは、観察力に富む
・第8章:キャッチャーは、知恵を働かせる
・第9章:キャッチャーは、勝負をあせらない
・第10章:キャッチャーは、忍耐強い
・第11章:キャッチャーは、コミュニケーションを重視する
・第12章:キャッチャーは、腹をくくる
・第13章:キャッチャーは、チームを愛する
・第14章:キャッチャーは、第三者の視点で考える
・第15章:キャッチャーは、イエスマンじゃない
――以下、当時の選手の評価を中心にピックアップ。
・巨人においてノーサインで投げていたピッチャーは、堀内恒夫、加藤初、江川卓。一応サインは出していたが三味線。江川の場合、投げたいタマを投げたいコースに投げていた。
・1987年、江川が引退を決意した小早川毅彦との対決。小早川はストレート狙いは打席の立ち方、ステップの取り方から明らか。以下、マスク越しの会話。
「カーブでいこう」
「イヤだよ」
「ストレート? 狙ってるのがミエミエなのに?」
「そう」
「もう……しょうがねえなあ、じゃあ長打のないように外いっぱいな。今日はホームランも打たれてるんだし、一発食らえばサヨナラだぜ」
「外まっすぐだな? わかったわかった」(91~92頁)
・江川の投じたボールは、周知の通りインハイのストレート。打球はライトスタンドに消え、サヨナラ負け。江川ほどのピッチャーであれば、外に投げるストレートを内にコントロールミスすることはあり得ない。明らかに意図して投げ、玉砕したのだ。
「野球ファンはよく、この高校時代の江川が一番速かったというが、そんなわけはない。それは、高校からすんなりプロ入りしていたらどうだったかな……というファン心理がいわせるもので、そもそも高校生には、江川と比較するピッチャーがいなかった。実際に六大学で対戦し、ジャイアンツではそのタマを受け、ほかの一流ピッチャーのタマも見ている僕からしたら、プロ入り一、二年目が一番速かったと思う。真ん中高めにまっすぐを放っておけば、打たれないのだから」(122頁)
・ルーキーとして入ってきたときから、コイツは違うなと思ったのは桑田真澄。1年目から内角の厳しいコースにも臆することなく堂々と投げてきた。で、試合後には、リードの意図を積極的に聞いてくる。
「あのピンチで、ボールから入ったのはなぜですか?」
「バッターの反応を見て、狙いダマを判断したかったんだ。オマエはストライクならいつでもとれるし」
「なるほど、そういうことですか。ボールにも意図があるんですね。ありがとうございました。それと、僕のタマはなにが一番いいですか?」
「うん、まっすぐをいつでもアウトローにコントロールできるのがいいね。それと、スピードガンの数字以上にキレがある」(141頁)
・いまのバッティング理論は、自分の現役のころとは変わってきている。かつての打撃は、引き腕を伸ばして打つのが主流。右打者なら左、左打者なら右腕でリードし、ポイントを前にしていた。いまは、なるべくボールを引きつけ、バットを構えたときの上の手(右打者なら右、左打者なら左腕)で押し込むようなうち方が主流。ポイントを後ろにしている。
・ポイントを後ろにすれば、当然、詰まったり差し込まれる可能性も増える。内角を前でさばけというセオリーはこれを忌避するためにある。しかし、高打率を残す右打者は内角に対しても後ろでさばき、右方向に強い打球を打つ。おそらく、多少詰まってもいいという意識があるのだろう。
・こういう打ち方ができるようになったのは、バットの進化が大きい。自分の現役時代、バットの重さは900g半ば。920g以下のバットを作るのは、技術的に不可能といわれていた。しかしいまでは、880~890gのバットも当たり前になっている。軽くなった分、操作しやすくなりスイングスピードも上がる。だから、多少詰まっても飛ぶ。となれば、できるだけボールを呼び込み、しっかり見極めたいという打撃理論は主流となる。
・当時の一流投手の評価。オールスターや日米野球で受けた経験から言うと、スピードなら江川、フォークなら村田兆治、カーブなら牛島和彦、コントロールなら北別府学。
――バットが軽くなったから打法が変わったという山倉の指摘は間違いではないだろうが、典型的な引きつけて打つタイプだった落合博満のバットは950g以上で重心も極端にヘッド寄りになっており、普通の選手にはコントロールし難いもの(=長嶋一茂曰く、「よくこんなバットで打てますね」)だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿