2013年3月21日木曜日

なぜ、<改憲>ではなく<廃憲>なのか? 都築の考え:その3

「憲法だの何だのといっても、日本は事実上、立憲君主制でしょ? だったらそれでいいじゃない」
「違憲だの何だのといっても、日本は事実上、国軍を持っているでしょ? だったらそれでいいじゃない」

つい半年ほど前まで、<改憲>を考える傍らでこのように考えていたものです。例えば「中共から国土を防衛する」という目的を達成するだけであれば、それこそ自衛権の解釈を変更するだけで十分に対応可能であって、<改憲>する必要なんてゼロですからね。

それに、日本国憲法でどのように謳っていようと、今の日本が事実上の立憲君主制国家であり、「天皇を中心とした神の国」(森喜朗©)であるってことは、心ある日本人にとっては自明のことでもあります。実際、草思社の方もこのように考えていたようです。

・兵頭二十八師のMIL短blogより■さぁ今日は朝から書店に新刊が並んでいるはずだ。書店にGo…ぐぬぬ!【2013-3-14作文】

>※今回の新刊のタイトルですが、小生のイチオシ提案は『立憲君主制のススメ』でした。せめてサブタイトルはこれにしたかった。しかし草思社内の会議で「日本は今でも立憲君主制じゃないの?」という人がおられましたそうで、それなら出版社のプロの方々にタイトルはお任せするしかないと思い、版元からのご提案『「日本国憲法」廃棄論』に賛成を申し上げたのであります。

で、↑のような共通理解をですね、日本人の大多数が未来永劫持ち続けることが確かなのであれば、別に<護憲>でも良い……いや、やっぱり良くないんですよ。

仮に日本が立憲君主制国家であるということを、大多数の日本人がわきまえているとしても、結局これって、日本人の間だけで通じる“阿吽の呼吸”と同じ類のものであって、諸外国の人にしてみれば、「何で憲法に書いていることを守らないんだ」ってハナシになるわけです。

「いや、憲法ってのは交通規則と同じようなものでしょ。40km/hの速度制限が事実上ザル法で、実態は60~70km/hの速度制限であるように、前文や1条もザル法みたいなものであって、実態として日本の君主が天皇陛下であることは疑いようのない事実なんだから、それでいいじゃん!」って?

だったら、その疑いようのない事実を事実として明記する。国家として諸外国に対して「ウチの国はこうだから」と説明したうえで、これを順守する。つまり、「公的な約束をしたうえで、これを守ること」。これを体現することこそが、一番大切なことなんですよ。

なので、「今の状態で問題ないからこれでいいじゃないか」という消極的<護憲>論は、文明国であればやってはいけない「公的な約束を、最初から守る素振りすら見せない」ということと同義であって、ある意味、<護憲>や<改憲>よりもたちが悪いといえます。

そもそも日本や日本人の性質について、諸外国の人間は、「厳しい交渉でもニコニコしていると思っていたら、いきなりキレた」とか「笑顔の裏で何を考えているかわからない」と指摘してきたものです。こうした態度は、我々日本人にとっては、ネット上における『遺憾の意』のネタや、東映任侠映画における「開巻1時間15分まで徹底的に忍従し、残り15分で大暴れする」という定番プロットなどに表わされるように、実に馴染み深いものだったりします。

しかし、あらかじめ自分の立場や考え方をハッキリと表明せず、臨界点を超えたらキレて大暴れするという態度は、諸外国の人間にしてみれば「単に不気味で信用できない」と感じるだけですからね。だからこそ、憲法廃棄→新憲法制定という形で、国体のあり方を国内外に明示し、この公的な約束を順守する姿勢を内外に示すことが大切なのだと、手前は考えています。

それに日本が立憲君主制国家であるということについて、国民の大多数が心得ているかといえば、つい3カ月前まで民主党政権であったことや、大統領制の実現――改めて説明するまでもないことと思いますが、大統領制とは、国王や皇帝といった君主を戴かない共和制の国が、有象無象の国民のなかから国家元首を選ぶための制度ですからね。仮に日本でこれを実現したならば、現在、ぼんやりとではありながらも確実に根付いている「天皇を中心とした立憲君主制」は音を立てて崩れるはずです――を目指す日本維新の会の躍進を見る限りにおいて、「どうやら怪しそうだ」と言わざるを得ないですし。

「いつの間にか、国会議員、それも『五五年体制』下では天皇制を擁護していたはずの政党に所属する国会議員の中にすら、日本国になぜ天皇が必要なのか分からぬらしい『選良』が増えている兆しがあります。一部は『五五年体制』の当時から、隠れたアンチ皇室派だったのでしょう。なさけない限りです」
「天皇という日本国家団結の中心が、こんにち、国会議員の心の中からも消えつつあることを、楽観的に傍観していてはなりません。わが国においては、その事態は、国会議員や国家公務員が、特定外国のスパイに志願することと同時進行するはずです。じっさい、その策動の一部は露顕しているでしょう」(39頁)

と、このように兵頭師が書いている通り、日本が立憲君主制国家である実態を忘れている人が増えつつあります。だからこそ、憲法の問題は「9条」にではなくて「前文」と「1条」にこそあり、これを革めるには<廃憲>しかなく、<改憲>では亡国の途へとまっしぐらに進むしかない――と、確信しているのですが……。

残念ながら、2013年春の日本において、<廃憲>論は核武装論よりもマイナーな扱いを受けていると言わざるを得ません。この状況をいかにして引っくり返し、<廃憲>を実現に持っていくのか? これまでは、「兵頭師のこれからの活動に注目だい!」で済ませてきたけど、今回は、一門弟として積極的にサポートする時が来たのではないかなぁ、と思っているところです。

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