「国状にあわせて憲法を変えるのであれば、<改憲>で十分じゃないか?」
つい最近まで、手前はこのように考えていました。実際、<廃憲>については、『「日本国憲法」無効論』(小山常実著。草思社)を初め、いくつかの<廃憲>論者の著書を読んできたものの、<改憲>論者から転向するまでには至りませんでした。
<改憲>を棄てられなかった理由は、つきつめると
①国家元首(前文、1条)、再軍備(9条)、いずれのウソを改めるとしても<改憲>で事足りるから
②遵法精神に富んでいるので、「悪法も法は法」という考えから、最高法規を無視できなかったから
の2つに絞られます。
兵頭二十八師の<廃憲>の肝であるところの、「立憲君主制にせよ!」の主張について、最も有効な反論の一つが、「<改憲>で実現できるんじゃね?」でしょう。実際、衆議院の憲法審査会では、こうした議論が進められています。今度の参院選で自民党が圧勝し、日本維新の会が<改憲>にノリ気になった場合、このような形で<改憲>が進む可能性も十分あり得るといえるでしょう。
・参考:「天皇は元首」で賛否=衆院憲法審も再開
仮に兵頭師が望ましいと考える基本指針である「日本国の主権は日本国の無私の総攬者たる天皇にあること」「天皇は無私であって無答責であること」(243頁)といった要素が盛り込まれ、理想的な内容の条文が練り上げられた上で、<改憲>が成ったとしましょう。実質的には「立憲君主制が名実ともに復活した!」ということになり、兵頭師の主張に賛同する手前にとってもハッピーな結末に見えます。
しかしですねぇ、これってやっぱりバッドエンドルートなんですよ。
結局のところ日本国憲法は、成立過程からいって、「国体変更を外国軍隊から強制された証拠」でしかないわけです。なので、これを基に如何に素晴らしい内容に改めたとしても、日本国憲法の改正規定に則って<改憲>を行なってしまったら最後、「国体変更を外国軍隊から強制されたこと」を完全に認めてしまうことになるってことです。
これでは、国防のため「安全、安価、有利」を目指して立憲君主制を明文化したところで、「日本は、我々が直接及び間接侵略により国体変更ができる国でしかない」と諸外国から公式に認められ、未来永劫、近隣諸国(=当面は中共及びその後継政権)からの間接侵略に怯え続けなければならなくなるわけです。「安全、安価、有利」を目指したことが、結果的に「危険、効果、不利」な状況をもたらしてしまう。まさに本末転倒ですよ。
「それでも日本国憲法は我が国の最高法規なんだから、これを順守するのが一国民としての正しいあり方なのではないか?」
失礼と不遜が服を着ているような男なのだから、せめて遵法的に生きることで、人様に迷惑をかけないようにしよう――という手前の信条からいえば、日本国憲法の<廃棄>は必要だとしても、やっぱり「悪法でも法は法」であって、<廃憲>ではなく改正規定に基いて<改憲>すべき……とも思っていました。
で、このように<改憲>論と<廃憲>論の狭間でゆらゆらと漂っていたなかで、兵頭師の新刊を読み、自分なりに<改憲>と<廃憲>の問題について考えてみた結果、「自然権を損なうような『明らかに間違った法』には、唯々諾々と従う必要はないのではないか?」ってことにようやく気づいたというわけです。
実際、正当防衛という自然権を一切認めていない欠陥法典にして、国体変更をしてはならないという国際法をも無視してつくられた“偽憲法”をですね、「悪法も法は法だから」と順守する人は、それこそ「お前は先生が『死ね』といったら死ぬのか?」というガキの理屈を笑えないと思うんですよ。
ここまで、手前が<改憲>論者から<廃憲>論者へと転向した理由をつらつらと書いてみました。が、このエントリを読んでいる方を含め、日本国民の大多数は、「<改憲>? <護憲>? どうでもいいじゃん。実態として国防軍たる自衛隊があって、実質上、天皇陛下を元首に戴いた立憲君主制になっているんだから、敢えて憲法をいじることもないんじゃないの?」という、無関心派および消極的<護憲>論者かと思います。
でも、それではダメじゃないのか? というハナシについては、明日改めて書くことにします。
(つづく)
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