2013年3月12日火曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その22

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

兵頭二十八師の草思社3部作――って、もしかしたら4、5冊と出るのかもしれないけど……――の最新刊にして、ここ数年に発刊された憲法論として最もわかりやすく、最も真っ当な内容の本である『「日本国憲法」廃棄論:まがいものでない立憲君主制のために」。

「なぜ、<改憲>ではなく<廃憲>?」というかつての手前のような方のために、今日は新刊の導入部を紹介したいと思います。

<改憲>がダメな理由について、新刊を読んだ手前の理解は、「日本国憲法とは、立憲君主制という国体を定めていた明治憲法を、主権在民という国体に変更した“偽憲法”のこと。この“偽憲法”の改正規定に則って<改憲>することは、“偽憲法”を追認し、ひいては立憲君主制復活の途を未来永劫閉ざすことになる」というものです。

「じゃぁ、立憲君主制ってどういうメリットがあるのよ?」

という疑問に対して兵頭師は、新刊の第1部(=自由と国防が不可分なことを確認しよう)で、キッチリ回答しています。というわけで以下、引用です。

「立憲君主制は、『特権は君主ひとりにしかない』と決めておくことで、その国家の内部に、長期安定的に『法の下の平等』を実現させるメリットがあります」
「君主の特権といっても、シナの皇帝や欧州絶対主義時代の王とは違います。国民が『そんなご無体な』と反発するような行状には、及べない。それが可視的な契約になっていれば『立憲』と言えます。もちろん、近代的な民本主義の一つです。そして偶然にも、古代から日本にあった天皇制とは、機能が似通っていたのです」(45頁)

「立憲君主制下では、将軍も、富豪も、宗教ボスも、組合幹部も、平民も、日本国籍をもっているなら皆、法的な権利・義務は平等です(国防の義務の対価として)。一時的には行政の長官などが大きな権力を揮うことも可能だが(緊急勅令・戒厳令など)、それは彼の特権ではないので世襲できません」(46頁)

法の下の平等の重要性については、改めて説明する必要もないとは思いますが、これがなければどうなってしまうのか? 具体的にいえば、手前はいつものようにblogを更新できないでしょうし、ちょっと稼いだら市長の部下あたりが、「テメェ、羽振り良さそうじゃねぇか。つーわけで、今年の税金は3倍増しな」みたいに私財を搾取されるようになるんでしょう。早い話、隣国みたいな暮らしにくい国になるってことですよ。

こうした法の下の平等に加え、君主が国の中心として存在することで、たとえ内乱を起きたとしても致命的な結果にはならず(タイ王国が好例でしょう)、クーデターを使嗾せんとする外国からの間接侵略にも大いに対抗できることも、立憲君主制の大きなメリットといえます。

「そのそもこの『天皇制』のおかげで、日本国民は、外敵や、その手先の有力な内部の敵があらわれたときにも、団結の中心を決して失わずに済んでいるのです」
「列島ぜんたいの独立と、列島内の自由を、日本人は千年以上も保つことが可能でした」
(中略)
「敢えてたとえるなら、『天皇制』の国家防衛力は、『国防軍』の数百個師団にも匹敵するでしょう」
(中略)
「日本人の自由は、ときにおびやかされたとしても、国内が分裂して人民がてんでに特定外国と結ぶような事態さえ起きなければ、何度でも樹て直すことができるでしょう」
(中略)
「天皇という日本国家団結の中心が、こんにち、国会議員の心の中から消えつつあることを、楽観的に傍観していてはなりません。わが国においては、その事態は、国会議員や国家公務員が、特定外国のスパイに志願することと同時進行するはずです。じっさい、その策動の一部は露顕しているでしょう」(37~39頁)

では、立憲君主制を失うとどうなるのか? これはフランス革命後のフランス以下、今日の共和制国家の歴史を見れば一目瞭然でしょう。建国時から共和制だったアメリカについても、兵頭師は以下のように指摘します。

「いうなれば、自然な団結の中心となってくれる『かれらの天皇』を決して持てないがゆえに、アメリカ人は、苦労して人工物である憲法理念などをことさら称揚しつづけねばならず、公共建築も古代共和制の標章となるアテネ風かローマ風を模さねばならず、あげくは教会で旧約聖書の歴史を己が身の上に継ぎ足して建国史イメージの神聖化までも演出しなければならないのです」
「そこまでしても国家分裂騒動はあり、南北戦争の危機を乗り切るのには七十万人もが内戦で死亡しなければなりませんでした。ちなみに、日本の革命内戦であった明治元年の戊辰戦争では、戦死者はぜんぶで一万三千六百人弱で済んだと見積もられています。日本列島に、団結の中心が、侵し難く存在していたおかげでしたろう」(41頁)

「一回、王様を追放してしまった国民は、二度と、この憲政を取り返すことはできません。その結果、共和制の諸国では、<平民の中から根拠の妥当性のない特権が生じ、その特権が世襲されたり、暴走したり、国民間の深い恨みの対象になる>という、内外ともに迷惑な事態が、起きたりするのです。どこからみたって独裁体制でしかなさそうな某国や某々国が、『ナントカ人民(民主主義)共和国』などと恥じらいもなく名乗っていられるのを見れば、近代以前から歴史の連続する君主をもてないということが、『暴走阻止ブレーキのない乗り合いバス』に似た状態であることも見当がつこうかと思います」(46~47頁)

以上、全体で50ページに満たない導入部となる第1部から、手前が気になったポイントを中心に引用してきましたが、本編が↑以上に面白いことは言うまでもありません。で、この導入部はあくまでも前菜でしかありません。本当に面白いメインディッシュは、第2部にあります。

0 件のコメント:

コメントを投稿