我が心の師である適菜収先生の最新刊『バカを治す』を読みました。去年上梓した『ゲーテの警告』以来、新刊のみならず、新聞、オピニオン誌で評論を書きまくっている適菜先生ですが、最新刊は、これらの著書&評論とは一線を画した快著です。
◆目次
●第1章:「バカ」を治す
●第2章:「情報化社会」を治す
●第3章:「近代」を治す
●第4章:「民主主義」を治す
●第5章:「男女平等」を治す
●第6章:「正義」を治す
何が凄いのか? どこが一線を画しているのか? といえば――
①徹底的にわかりやすく、かつ直截的な文章であるため、誰が読んでも理解できる内容になっている点
②これまでの著書&評論のメインテーマであった「B層批判」から一歩進み、「B層から脱却する具体的なメソッド」に踏み込んでいる点
――という2点。
①については、以下、「はじめに」(3~5頁)からの引用を読んでいただければ一目瞭然と思います。
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バカというのは頭の中にワンクッションがない人たちです。
脊髄反射的というか、モノを考えずに反応する。犬と同じです。
たとえば、本書のタイトルを見ただけで「他人にバカというレッテルを貼るのはけしからん」とか「この著者は上から目線で他人を批判しているが、自分のバカさ加減に気づかないのだろうか」などと言い出したりする。
インターネットの掲示板にも、スレッドのタイトルだけ見て、頓珍漢な書き込みをするような人が大勢います。
最初に断っておきますが、本書の目的は、バカを批判することではありません。
もっと言えば、バカを批判しても無駄です。バカは「バカの世界」の住人です。住んでいる「世界」が違うので、共通言語がない。
それよりも、バカの本質をつかむことにより、自分の内部に存在する「バカ」を克服することが大切です。
人間がたいていバカです。そしてバカを自覚することにより成長します。
(中略)
無知とバカは似ているようで違います。
それではバカとは何か?
真っ当な判断ができないことです。
だから、たくさん知識をもつバカもいるし、あまり知識のない賢者もいる。
では、「真っ当な判断」とは何か?
それが本書のテーマです。
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「バカというのは頭の中にワンクッションがない人たちです」
「バカは『バカの世界』の住人です。住んでいる『世界』が違うので、共通言語がない」
これほどわかりやすく直截的で、かつ、これ以上に解釈のしようがないほど磨きぬかれた書き方は、既著には見られなかった美点です。この書き方は本編にも貫かれていて、ゲーテやニーチェ、オルテガらの偉人の言葉の引用以上に、こうした“言い切り”が連発されています。なので、よっぽど日本語の読み書きが不自由でない人でなければ、誰が読んでも一発でアタマに入る内容となっています。
このような“言い切り”は、『ゲーテの警告』以降、数々の新刊を書きまくったことで、B層を巡る諸問題について、これまで以上に血肉化し、消化し切ったからこそできるものなのでしょう。読者層のレベルに合わせて↑のようなスタイルを採ったのだとしても、1年前の適菜先生であれば、ここまで見事に“言い切る”ことはできなかったと思います。
このように「徹底的にわかりやすく、かつ直截的な文章であるため、誰が読んでも理解できる内容」で、②にある通り「B層批判」から一歩進みんだ、「B層から脱却する具体的なメソッド=バカの治し方」に踏み込んでいるわけですから、面白くないわけがないんですよ。
実際、少しでもバカの自覚がある人であれば必読モノでしょうし、『ゲーテの警告』でごく原則的に言及していた「B層脱却のメソッド」について、より詳しく知りたい人にとっても必読モノの内容といえます。で、このバカの治し方というのが実にどうも……と書いていくとキリがなさそうなので、この辺のことについては後日改めて。
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