2011年9月17日土曜日

記憶を頼りに初めての大日本帝国:Victoria2日記(その3)

1898年頃、カリフォルニア領有を狙うアメリカがメキシコに宣戦布告。戦争開始直後にメキシコが泣きついてきたので、これに介入する。やっぱり北米は分裂していてナンボ。一枚岩になったら次のターゲットはわが国だからね。

というわけで総動員をかけ、ハワイを経由してメキシコに雪崩れ込む帝国陸軍。この日のために陸軍技術を上げ、砲兵、騎兵を揃え、良い将軍を並べたものの、強さの点ではほぼ互角。やっぱりガチの殴り合いは燃えるなぁ。プエルトリコ防衛戦は双方とも引くに引けない田原坂状態。増援に次ぐ増援、たびたび使われる毒ガス、相次ぐメキシコ兵の壊走などがあったものの帝国陸軍は粘りに粘り、なんとか一息ついたところで勝手に介入してきたイギリスが勝手に和平を結び、哀れメキシコはカリフォルニアを獲られることに。一体何のために介入したのやら……。

1910年頃、弩級戦艦の製造解禁から10年近く経ってもいまだ1隻も配備できず。なぜかといえば「電話が揃わないから」。もちろん電話工場も作れるようになっているんだけど、わが国は維新以来、自由派と無政府主義者の連立政権が続いているため政府が工場の開設・閉鎖・増設に一切タッチできなかったわけですよ。で、資本家は世界の需要に応じるままにどうでもいい工場をバンバン建てて、結果、電話とか自動車みたいな戦略的に重要な物資は職人が細々作っているという。

まぁ、英米仏を相手にしなければ、巡洋艦でも何とかなるからいいんだけど、ここで軍事点を上げておかないと工業化を進めまくっているベネズエラに大国の位置を譲りかねないしなぁ。というわけで国威発揚のためにあらゆる手をつくした結果、北極&南極探検ではいずれも3次遠征までして世界で初めて北極点、南極点に到達。スエズ運河を開通させたほか、江戸オリンピックを開催し、ジャズも前衛音楽も江戸や大阪が発祥の地となるというカオスな状況に。

0 件のコメント:

コメントを投稿