8月4日にチャンネル桜で放映された番組「現代戦争論:日本で戦争は勃発するのか」について、兵頭二十八師が発言している部分をピックアップしたメモです。あくまでも私家版メモであって、手前なりに要約したものなので、正確に知りたい方はYouTubeで該当動画を視聴してください。
~~~~~~~~~~~~~~~~
・19世紀的な戦争であれば講和条約締結で戦争は終わる。しかし、これは狭義の戦争であって、20世紀のある時点で狭義の戦争はなくなってしまった。現代の戦争は常続しているものだ。間接侵略も含めた広義の戦争は、常に継続していると考えるのが合理的だろう。
・日本が巻き込まれる可能性がある米支戦争について、中国共産党(中共)は“勝ち”にいっているわけではない。旧ソ連が崩壊したときに、ソ連共産党高級幹部は街頭に首を吊るされなかった。なぜか? それは旧ソ連にリアルな対米核抑止力があったからだ。このことを中共高級幹部は常に考えている。では、自らの安全を担保する<リアルな対米核抑止力>を、中共は持っていたのか? といえば、私は持っていなかったと考えている。
・ワシントンやニューヨークに届くICBMについて、中共は18発しか持っていない。しかも弾頭は全て外されている。これらの事実はアメリカに通報されているが、なぜかといえばニクソン―毛沢東のあいだで密約があったからだ(このハナシは新刊で詳しく書くYO!)。しかし、旧ソ連の崩壊を気に、中共は密約について考え直しただろう。
・リアルな対米核抑止力を持つ手はいくらでもある。しかし、実行に移せば密約を破ることになる。この密約を破るという選択は、支那人にとって厳しい選択だ。彼らは公的な条約は尊重しないが、密約はとても尊重する。実際に破るとなれば、密約破りの実態を隠す必要があろう。密約破りの実態に目を向けさせないように、敢えて四方八方でトラブルを起こしている――と私は疑っている。尖閣問題はその典型だろう。
・最後には米支戦争になるかも知れないが、その際に「日本に核ミサイルを一発ぶち込む」という可能性は、中共が停戦を目指すために打つ一手としてあり得る。大東亜戦争で日本の内閣は、「フィリピンで一回買ってアメリカと講和しよう」と考え、フィリピンに全力を突っ込んだ。つまり、負けている側が講和を求める際には、どこかで“一発勝つ”必要があると考える。では、来るべき米支戦争で“一発勝つ”ことができる局面はどこにあるか? 手近な同盟国である日本だろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
・日本は何を保守すべきか? といえば、明治維新を保守するというのが答えではないか。明治維新とは自由主義革命だ。だからこそ江戸時代の日本を保守するのではなくて、自由主義になった日本を保守すべきだろう。この自由主義とは法の下の平等と同義だ。これがあるからこそ日本人は自由であり得る。このことは儒教圏の人間には理解できないことだ。天皇制は自由主義とは相性が良かったが、このハナシはあまりにも大きくなってしまうので、ここでは割愛。
・この「自由主義の日本」を保守するのだ――と、国民が腹を括ることができれば、“1946憲法”などを戴いていていいわけがない、と結論するはず。しかし、“1946憲法”があるお陰で日本人は、「自由主義の日本」を自分たちで守るという考え方が出来なくなってしまっている。そもそも「自由主義の日本」を守ることについて、考える言葉を失ってしまった。そこが(現代日本における)最大の問題だろうと個人的には思っている。
・この自由主義とは近代的自由と同じ意味だ。すなわち個人と個人は対等であり、国と国も(大国や小国はあっても)原則として対等であるという考え方。翻って見れば、江戸時代はそうではなかったし、儒教圏の国もそうではない。儒教圏において、一対一の関係には常に上下があり、対等の関係というものは存在しない。「そういう世界はイヤだ」と、日本人は選択した。明治維新、戊辰戦争を通して得た「自由主義の日本」という価値は、保守すべきものであると確認しても良いのではないか。
0 件のコメント:
コメントを投稿