2013年4月5日金曜日

長嶋ありきではなく松井ありきである:その2

*国民栄誉賞のハナシです。以下、陰謀論なので眉に唾をつけて読みましょう。

昨日のハナシのまとめ

・前提A:長嶋茂雄は国民栄誉賞を死ぬほど欲しがっている。なぜならこの賞を得ることで、現役&監督時代に人気以外では全ての面で敗北した王と並び立つことができるから。
・前提B:松井秀喜は国民栄誉賞を死ぬほど忌避している。なぜなら、受賞したが最後、現役時代に人気を含む全ての面で敗北したイチロー(=引退後の受賞確実)と、死ぬまで比較され続けるから。

ではなぜ、松井は受賞辞退しなかったのか?

理由はただ一つ、「絶対に逆らえない長嶋をたてに、受賞辞退の道を塞がれた」からですよ!

……おっと結論を急ぎすぎました。ハナシをもう少し遡ってみましょう。

なぜ、国民栄誉賞の受賞資格を持たない松井に対して、賞を授与するというハナシが出てきたのか?

今回のハナシのポイントはココにある、と、手前は考えています。つまり、受賞資格のあった長嶋に与えたかったのではなくて、受賞資格のなかった松井に与えたかったのだということです。

では、松井に国民栄誉賞を与えたかったのは誰か? といえば、これはもう森喜朗しかいません。出身した町まで同じで、中学時代から後援者を務め、メジャー時代には地元企業(コマツ以下有象無象)をスポンサーに斡旋した、松井の“社会的な父親”である森が、松井を“男”にしたかった――。つまり、「森喜朗最後のワガママ」が、このハナシの淵源であると、手前は考えています。

昨年の総選挙で引退した森に、政治的な力は何一つ残っていません。しかし、12年前に小泉純一郎との二人三脚で“田中派”を潰し、小泉政権時代には党内調整を完璧にこなすことで、小泉が好き放題暴れられる環境を整え、現在の自民党主流派である“福田派”の中興を果たした功績――とりわけ、福田赳夫と安倍四天王(角福戦争の当時に福田の個人秘書~陣笠だった小泉も含む)が共有していた「田中角栄への復讐」を100%達成した功績――は、先の総裁選で森を敵とした安倍晋三にとっても無視できるものではありません。

で、そんな森から「最後の頼み」として↑のことを願い出られたら、安易に断れなかったことでしょう。それに党内人事のような抜き差しならない要望ではなく、国民栄誉賞受賞者の選定という政治的にはどうでもいい案件だからこそ、「このくらいのことで“褒美”になり、あとは静かにしてくれるなら安いモノ」とも思ったことでしょう。

つまり、ここでもう一つの前提。すなわち、

・前提C:松井と同郷の森喜朗(石川県能美郡根上町)は、事実上、松井の“社会的な父親”ともいえる存在であり、記録にも記憶にも残らなかった松井をどうにかして“男”にしたいと願っている。

が存在するってことです。

さて、森が松井を“男”にすべく、国民栄誉賞を授与させるために奔走したとしましょう。でも、「オイ、ヒデキ。お前に国民栄誉賞をやろう」といったところで、「いや、マジ勘弁して下さい」となることは目に見えています。理由は昨日書いた通りです。

では、松井に国民栄誉賞を辞退させず、受賞に“追い込む”ためにはどうすべきか?

正解は「球界では絶対に逆らえない長嶋をタテに、断れない状況に追い込むこと」

もう少し噛み砕いて言うと――

「オイ、ヒデキ。お前に国民栄誉賞をやる」
「いや、マジ勘弁して下さい」
「それは断る、って意味か」
「もちろんです。ボクの成績で受賞できる理由なんてないですから。そもそもボクの前に野茂さんに授与すべきじゃないんですか?」
「お前に断られると、とても困ったことになるんだ」
「どういうことっすか?」
「実は長嶋にも授与するというハナシがあるんだか、お前が断ったら長嶋のハナシも立ち消えになるんだ。長嶋の顔に泥を塗るわけにはいかないだろう?」
「……謹んでお受けします」

――みたいなハナシがあったのだと見えるぞ、私にもこの会話が見える! ってことです(注:何度も何度もいいますが、これ、全て都築の想像です)

つまるところ今回の件は、松井ありきのハナシであって、長嶋こそがツマだったと。なお、日本プロ野球界において長嶋に逆らうということは、イコール不敬罪に値します。逆らった時点で、OB、マスコミ以下、全ての球界関係者が敵に回ってしまうわけです。いかに松井といえど、球界で生きていくしか道はないわけで、だからこそ長嶋の顔に泥を塗るわけにはいかなかった……。

以上、久しぶりに大々的な陰謀論を展開してみました。

それにしても今回の受賞で一番可哀想なのは松井その人だと思うんだけどね。5連続敬遠といい、WBC辞退騒動といい、この人って死ぬまで厄介事に巻き込まれる星の下に産まれたような。野球選手に求められる全ての資質を持っているにも関わらず、これからは「一野球人」として正当に評価されることはなくなるんだろうなぁ。多分、100年後の野球ファンは、我々が坂本龍馬を過大評価か過小評価しかできないように、松井秀喜のことを“正しく”評価できなくなっていると思いますですよ。

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