2012年8月22日水曜日

想像以上にgdgdだった

我が心の師である適菜収先生がラジオで激論? とあったので聞いてみました。

「『Fallout3』に見向きもせず仕事をしているのに、ラジオの録音なんぞを聞くヒマなどあるか!」と思いつつ、ダウンロードしてみたら16分しかなかったので聞いてみたけど……いやぁ、想像以上にgdgdだった。

6時間くらい対談するのであれば、「ペンネームは卑怯とか」「B層でなぜ悪いのか」みたいなどうでもいいハナシが挟み込まれるのも――間延びした対談に爆弾を投げ込むというくらいの意味で――アリとは思うけど、16分しかないんだもの。河井薫氏(って昨日初めて知った人だけど)には、もっと考えてから話して欲しかったなぁ。てか、単に「適菜の野郎が気に食わない」って文句をつけたいだけなら、本人に直接メールを送ればいいのに。

「ペンネームは卑怯」のハナシについては、適菜先生同様あまりにもバカバカし過ぎて反論する気にもならないけど、敢えて反論するなら、「じゃぁアンタは三菱商事に対しても『創業者の名字を使ってない!』って文句をつけるの?」と。

都築有も適菜収も本名じゃぁないけど、両人とも自営業者として「都築有」「適菜収」という看板を掲げて商売しているわけで、つまるところ岩崎弥太郎が「三菱商事」という看板を掲げて商売したのと何一つ変わらないってことですよ。

これだけでは河井薫氏のような人には理解し難いかも知れないので、もうちょっと噛み砕いていうと、「三菱商事が納入した銅鉱石の品質が低ければ、取引先から『三菱は信用ならん!』と思われ、結果、信用を落として商売上がったりになる」というように、都築有の名前で納品したモノのクオリティが低ければ、「次からは都築の野郎は使わずに、他の奴を使おう」ってことになる。

結局、本名だろうがペンネームだろうが屋号だろうが、看板を出して商売している以上、当人の言動や著作、論評などのクオリティ如何によって信用を失うリスクも背負っているわけであって、「看板が本名ではない=卑怯」という等式は全く成り立たないってこと。仮に明日以降、適菜先生が関係各所でバカな発言や論評を繰り返せば、出版社から「適菜収は使えないな」と判断されることでしょう。そうなれば、哲学者の看板は下ろさざるを得なくなるわけで、結果、ネットカフェでアルバイト(コンビニでも倉庫の軽作業でも何でもいいけど)するかないわけだし。

といったことは、頭の血の巡りが決して良くない手前でさえパパッと思いつくことなんだけど、河井薫氏は多分、今日の今日までこういったことを想像したことすらなかったんだろうなぁ。

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