2013年5月16日木曜日

慶喜嫌いの手前も大納得!

いやぁ、新装版『西郷隆盛』が本ッ当に面白い。午後に地下鉄車内で4巻を読み終えたところだけど、西郷その人は二度目の遠流で沖永良部島に入牢している頃のハナシなので、一切出てこない。書かれているのは、島津久光上京から松平容保の京都守護職就任までの半年余で、この文久2~3年の政治状況だけで452頁も書き綴っているのだからたまらない。もちろんいい意味で。

幕末史では比較的地味な期間――天誅テロと土佐勤王党が躍進した頃――で、普通の小説なら1~2章さけば十分なくらいなのに、ここで主人公を出さずにガッツリ&ちきんと書ききった“体力”が素晴らしい。志士・公卿らの手紙も、重要なモノは現代文の書き下しで全文掲載しているように、「わかりにくいことを無理にわかりやすく要約せず、ひたすら誠実に書く」という姿勢が何より気持ち良い。

あと、徳川慶喜嫌いの手前にとっては、以下の辛辣な批評にも大納得。『最後の将軍』を読んで、言葉にならない違和感を感じていた20年以上前の手前に、この本を読ませたかったなぁ。

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「つまり、慶喜は春嶽の攘夷説を姑息としてしりぞけて、堂々の開国論を主張して、一旦幕閣の意見をまとめたのだが、勅使の来着が迫ると、山内容堂に説得されて、春嶽の最初に主張した攘夷説となり、さらにここでまた開国論にかえって、攘夷説では自信が持てないと言って辞表を提出したという次第である。時の情勢とはいえ、心のくるくると変わりやすいこと驚くべきであるが、これが慶喜という人の性質なのである」(224頁)

「このように一橋の強情は驚くべきものがある。心が変わり易くて強情――二律背反の趣きがあるが、これが現実に生きている人間の性格というものであろう。生きている人間の性格は、凡庸な小説に書かれているように単純ではない。複雑をきわめながら、甲は甲であり、乙は乙なのである。もし一橋がそのすぐれた見識をこの強情によって守ってくじけなかったなら、幕末・維新史はちがった形をなしたはずであり、彼は幕末・維新史上の英雄となったはずであるが、その変わりやすい心のために翩々たる小才子的将軍でおわらざるを得なかったのである」(229頁)

「慶喜という人は抜群にあたまのよい人であったが、切所に臨むといつもこのようにくるりくるりと心が揺れ動くのである。このことだけではそう断ずるわけに行かないが、彼の生涯にはこんなことが実に多いのであるから、そう断定せざるを得ないのである。学者や評論家や芸術家なら、社会や国家には影響が少ないし、あるいはその変化が多彩として魅力であるかも知れないが、政治家には最も不適当な人だったと言わねばならない」(275~276頁)

「慶喜という人は意思を堅固に持たなければならない時には心を揺れさせ、強情を張ってはならない時には強情になるというこまった性癖がある。彼はズバぬけて賢い人であり、そのために天下の人に嘱望されて、いつも最も重要な地位につかれたのであるが、その賢さが生涯何の役にも立たなかった人である。それは詮じつめるとこの一点にある」(278頁)

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