2012年2月29日水曜日

<野球本メモ>「耐えて、勝つ」、藤田元司

●目次
・序章:“勝つ”組織作りに、私はどうしたか
・第一章:ピンチに打ち克つ平常心訓練法
・第二章:失敗にメゲない気持ちの切り換え法
・第三章:スランプ脱出の心の操縦法
・第四章:与えられたチャンスをモノにする自己管理法
・第五章:才能を伸ばし好調を持続する法
・第六章:自らの役割を知り生き残る法
・第七章:配転された部署で自分を生かす法

◆中畑清/第二章より

「明るく、スリリングで、気さくな男。しかし、それは中畑の見える部分だけの話だ。私は彼がスランプになったとき、からだじゅうに神経性のジンマシンができたことを知っている」
「それまでは物事にこだわらず、サラッと流していく男だなと思っていたが、以来、見方を変えた。表面にあらわれているのは本当の中畑ではないな、実はもっと神経質で、こだわって、考えこんで、そのあとで明るく転換しているんだな、と」(84頁)

「長嶋の天性の明るさに対していえば、中畑の明るさは意志に支えられた明るさといえる。それが痛々しく映るようでは困るが、彼の場合はヒョウキンにみえるから素晴らしい」(87頁)

◆森昌彦(森祇晶)/第三章より

「強肩で、投手をうまくリードでき、それに強打が加われば、捕手としては申し分ない。このひと昔前の捕手観を変え、キャッチャーは、自軍はもちろん、相手チームの攻守全般にも目配りができなくてはならない、九人のプレイヤーのなかで、監督の立場にいちばん近く、ウエイトの高いポジションであるということを日本の球界で最初に認識したのは、おそらく、水原茂監督だったと思う」
「私が入団した当初、キャッチャーは藤尾茂さん(二八年入団)だった。強肩で、六番を打ち、いつも声をだしてファイト満々、威勢がよかった。水原監督は、その藤尾さんを外野にコンバートし、高校出で入団五年目の森を正捕手に起用した。これは水原さん流の賭けだったに違いないが、大リーグ野球にも精通していたので、理想のキャッチャー像を森に見たのかもしれない」(100~101頁)

◆吉村禎章/第四章より

「当初、吉村にもこまだと同じように、王を育てた荒川博さんのところにあずけ、英才教育をほどこそうとした。それに対して、こういって吉村は拒否した」
「『僕はミート中心で打ってきましたし、ホームランを狙うような打ち方に変えるのは無理だと思います』」
「まだ、あどけなさが残る二〇歳の若者である。その吉村から、この言葉を聞いたとき、私は正直いって、体が震えるほど驚いた。自分を客観的に分析し、信念を持って野球に取り組もうとする若者の姿が、大きく見えたのだ」(145頁)

◆角三男/第六章より

「一度自信がつくと、相手にかかるプレッシャーは、こちらの想像以上のものがある。かつて江夏豊投手が、広島・日本ハム・西武時代にブルペンに歩いていく姿をみただけで相手チームに『もうダメだ』と思わせたように」
「それに習ったわけではないだろうが、当時牧野ヘッドコーチは角にこう『命令』していた」
「『ブルペンに行くときは、わざと相手ベンチに見えるようにゆっくり歩け』と」
(194頁)

――サラリーマン向けの啓蒙本で、巨人のOB、現役選手の月旦評で構成されている。その評価、内容は、当時のスポーツ紙と同じようなもので、とりたてて大きく取り上げるようなものは少ない。今回は、類書にはあまり見られないエピソードを中心に取り上げた。

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