・オーストリアにフランスとイギリスがついて
・フランスがロシアと手を組んで
・イギリスとフランスが仲良くしていて
・味方はドイツただ一国
という旧大陸の情勢。つまるところ世界1位、2位の国がガッチリと手を結んでいるわけだから、平和にしかなりようがないってことですよ! というわけで1880年以降、単調なプレイが続くと思われたので、メモを取らずにずいずいとゲームを進めてきたのですが、13年経って状況が大きく変わりました。
1893年に突然オーストリアが北ドイツ連邦に宣戦布告(第2次シェレジエン戦争)。で、ドイツからの参戦要請に応える形でオーストリアと戦争を始め、南下するオーストリア軍をあらかた撃退したと思ったら、今度はフランスが北ドイツ連邦に宣戦布告(モーリタニア侵略戦争)。中央アフリカの覇権を握っているフランスとしては、西アフリカに入植していたドイツが気に入らなかったんでしょう。オーストリアと事を構えている隙を衝いて抜け目なく戦争を仕掛けてきました。
イタリアとしては、オーストリアとの二正面作戦をするだけの余裕がないので、ひとまずドイツからの矢のような参戦要請を保留。そのあいだに、全力でオーストリア軍を叩き潰し、相手がグロッギー状態になったところで講和。
直後に総動員をかけ、軍団を再編成した後、ドイツからの参戦要請に応じてフランスに宣戦布告。ドイツ国境に兵力を集中していてがら空きになっていた南仏を攻め、釣りだされてきたフランス軍をニースに追い込んで殲滅。20万人くらいの兵力を戦闘不能にしたうえで、南仏からパリ目前まで進軍したあたりでフランスが白旗。イタリア参戦により戦況有利なった時点で和平条件を吊り上げた北ドイツ連邦は、アルザス・ロレーヌを得て、見事、ドイツ帝国へとクラスチェンジ! オーストリアもハンガリーとの二重帝国になることを決断しました。
これでようやく状況が変化したものの、オーストリア・ハンガリーとフランスとの紐帯が切れたわけではないし、フランスとの休戦期間があるとはいえ、オーストリア・ハンガリーに戦争を仕掛けることはできない。自衛戦争での同盟国参戦に休戦期間は関係ないから、いつでもフランスが出てくるんでね。均衡状態を動かすには、フランスがアルザス・ロレーヌ奪回を目指して第2次普仏戦争を興すタイミングしかないのかも。いずれにしても植民地兵でヒャッハー! をやらないと、イタリアでイニシアチブを握ることが難しいということだけは良くわかりました。
2012年1月7日土曜日
2012年1月6日金曜日
イタリア王国通信(Victoria2日記):その7
1871年9月。イタリアとして初めての外征を行う。哀れなやられ役はブルネイ。「保護領設立(=事実上の併合)」を名目に宣戦布告する。イギリスに軍の通行許可をとっているので、喜望峰の軍港を経由してシンガポール→ブルネイへと輸送船団を進める。1872年9月にはスペインを勢力圏に追加。これで当面のあいだ、マニラを拠点にインドネシアで暴れることができそう。なお、対ブルネイ戦争は1873年2月に終了。無事、全土を版図に納めた。
1874年10月。ボルネオ島南部・ミュラリーブを得るべく、かの地をステート化しているオランダに宣戦布告。オランダがポルトガル&イギリスとの戦争で泡食っている隙をつく。本当は文明国相手に明確な大義名分のない戦争はしたくなかったんだけど、ボルネオ島全域を「Italian Asia」の文字で埋める魅力には抗えなかった。
1875年6月。ミュラリーブ、ソマリランドへの入植活動をスタート。これにより西~中央アフリカへの入植は諦め、アフリカの角とインドネシア、太平洋への進出を目指す姿勢を明確にする。どーせ中央アフリカはフランスが獲るんだし。11月には対オランダ戦争を終え、無事、ミュラリーブを獲得した。
1876年3月。いつも通りの選挙、いつも通りの演説内容――基本、「自由経済、世俗主義万歳。移民歓迎。ピストルは悪魔の手だってママがいってた」で貫徹――だったにも関わらず、なぜか復古主義派が勝利。保守政党が与党になったことで、経済政策が国家資本主義へとチェンジする。社会主義がG(=黒光りするニクい奴)くらいに嫌いな手前としては許せないハナシだけど、まぁ、ゲームの中のことだしね。それに国が資本家を無視して勝手に工場を新設できるので、これ幸いと各ステートに高級家具工場と機械部品工場を新設する。
1877年1月。工作機械の発明と同時にスエズ運河を開通。同時にオーストリアとの休戦期間が明けたことを見計らって「ヴェネツィア解放を目指してオーストリアをぶっ叩け!」と、宣戦布告をクリックする直前に彼の国の同盟国を確認したらフランス、イギリスとかorz。これは無理。勝てない。てか、いつ同盟したんだよ! で、フランスの同盟国を見たらロシアと手を結んでるし。これで普仏戦争も起こり難くなったから、旧大陸の情勢はこれで固まってしまうのかも。どうにかして状況を変えなきゃならないなぁ……。
というわけで、今回のプレイはここで一旦終了。日記は明日が最終回です。
1874年10月。ボルネオ島南部・ミュラリーブを得るべく、かの地をステート化しているオランダに宣戦布告。オランダがポルトガル&イギリスとの戦争で泡食っている隙をつく。本当は文明国相手に明確な大義名分のない戦争はしたくなかったんだけど、ボルネオ島全域を「Italian Asia」の文字で埋める魅力には抗えなかった。
1875年6月。ミュラリーブ、ソマリランドへの入植活動をスタート。これにより西~中央アフリカへの入植は諦め、アフリカの角とインドネシア、太平洋への進出を目指す姿勢を明確にする。どーせ中央アフリカはフランスが獲るんだし。11月には対オランダ戦争を終え、無事、ミュラリーブを獲得した。
1876年3月。いつも通りの選挙、いつも通りの演説内容――基本、「自由経済、世俗主義万歳。移民歓迎。ピストルは悪魔の手だってママがいってた」で貫徹――だったにも関わらず、なぜか復古主義派が勝利。保守政党が与党になったことで、経済政策が国家資本主義へとチェンジする。社会主義がG(=黒光りするニクい奴)くらいに嫌いな手前としては許せないハナシだけど、まぁ、ゲームの中のことだしね。それに国が資本家を無視して勝手に工場を新設できるので、これ幸いと各ステートに高級家具工場と機械部品工場を新設する。
1877年1月。工作機械の発明と同時にスエズ運河を開通。同時にオーストリアとの休戦期間が明けたことを見計らって「ヴェネツィア解放を目指してオーストリアをぶっ叩け!」と、宣戦布告をクリックする直前に彼の国の同盟国を確認したらフランス、イギリスとかorz。これは無理。勝てない。てか、いつ同盟したんだよ! で、フランスの同盟国を見たらロシアと手を結んでるし。これで普仏戦争も起こり難くなったから、旧大陸の情勢はこれで固まってしまうのかも。どうにかして状況を変えなきゃならないなぁ……。
というわけで、今回のプレイはここで一旦終了。日記は明日が最終回です。
2012年1月5日木曜日
イタリア王国通信(Victoria2日記):その6
晴れてイタリア王国となった1871年1月は、いろいろと忙しかった。まず政治決断「軍産複合体」を決断することで研究機関を変えるとともに、政治改革では「政党の強要」を解禁。あわせて都市国家を合邦したことで60個旅団以上の常備兵力を維持できるようになったため軍備増強を決断。片っ端から近衛兵旅団を編成する。
結果、6月時点での常備兵力は近衛兵50個旅団、工兵6個旅団、歩兵3個旅団となる。動員兵力は40個旅団なので、大国に相応しい軍事力を持っているといえるけど、これでもフランスを相手にするのは難しいんだよなぁ。現時点での各国の旅団数は――
・中国:511
・英国:455
・露国:308
・仏国:183
・日本:116
・独国:83
・伊国:59
――という感じ。中国、日本は非文明国で非正規兵しかいないのでモノの数ではない。ロシアも軍事技術に劣るし、直接国境を接しないので無視していい。英国はインドの兵力が多くて戦場に集中できないので、旅団数ほどの強さはない(ただし海軍は鬼)。問題はフランスなんだよなぁ……。
という現下の状況を踏まえ、「オーストリアが持つヴェネィア、ダルマチア、南チロルのイタリア中核州の獲得」という大目標を達成に向けた、中長期的な戦略方針は以下の通り。
①オーストリアの仇敵であるドイツとの同盟維持
②オーストリア東部で権益争いをしているロシアとの同盟締結
③サヴォア、ニースを虎視眈々と狙うフランスとの友好関係維持
④石油、ゴムを算出するインドネシアの植民地獲得
⑤植民地戦争を円滑に行うためスペインを勢力圏に置く
⑥余裕があればアフリカの入植争いに参加する
①については、対オーストリアという点で完全に利害が一致しているので、特に何かをする必要はない。ハードな決断があるとすれば普仏戦争が始まったときにドイツに味方できるか否かという点。現下の状況では、南ドイツ諸邦が全て味方につけばタイに持ち込めるという感じか。ともあれ、オランダがベルギーを併合して、そのオランダをフランスが食って強大化した――という流れが痛い。ジャワ縛りの有無はどうあれ、早いうちにベルギーに味方して、ベネルクス三国を鼎立させておくべきだったんだなぁ。
②は、ゲーム開始からこつこつと友好を深めてきているので、あとはタイミングさえ良ければ同盟できるはず。ロシアとの同盟は、対オーストリア戦争での戦力以上に、対フランス戦争で局外中立を守ってくれることの意味が大きい。史実通り露仏協商となってしまったらドイツは滅ぶし、ドイツ頼りで旧大陸でデカイ顔をしているイタリアも滅ぶことになるからね。
で、普仏戦争が起きるまでは寝た子を起こさないのが得策なので、③の通りフランスとの友好関係は維持しておく。フランスとの関係が冷え込むとすぐにもニース、サヴォアを獲りに来るし。
④は、植民地としてのアテがインドネシアにしかないため。ブルネイは石油を産出するので、これが最重点目標。余裕があればシャム、ベトナムを獲りたいところ。
⑤の目的は、キューバ、フィリピンの寄港地利用。一応、イギリスに通行許可は貰っているものの、これはいつ取り消されるかわからない。それにアメリカや日本、中国とも戦争する可能性はゼロではない――こんがらがった同盟関係のアヤで、勝手に宣戦される可能性もある――ので、確実に使える寄港地を確保するためにもスペインを影響圏に入れることは重要だったりする。何より対フランス戦争でピレネー山脈を前線にできることも大きい。
⑥は、すでにモロッコ、アルジェリア、チュニス、トリポリをスペイン、フランス、オスマンに獲られているので、入植争いで後手に回ることは確実。北~中央アフリカを全て得られれば無視できない規模の植民地兵を得られるし、ステート化すれば工場の一つくらいは建てられるけど、識字率低下や国家集中の浪費を考えれば、あまり益もない。なので、入植はインドネシアを軸に展開して、アフリカには余裕があれば打って出ることにする。
結果、6月時点での常備兵力は近衛兵50個旅団、工兵6個旅団、歩兵3個旅団となる。動員兵力は40個旅団なので、大国に相応しい軍事力を持っているといえるけど、これでもフランスを相手にするのは難しいんだよなぁ。現時点での各国の旅団数は――
・中国:511
・英国:455
・露国:308
・仏国:183
・日本:116
・独国:83
・伊国:59
――という感じ。中国、日本は非文明国で非正規兵しかいないのでモノの数ではない。ロシアも軍事技術に劣るし、直接国境を接しないので無視していい。英国はインドの兵力が多くて戦場に集中できないので、旅団数ほどの強さはない(ただし海軍は鬼)。問題はフランスなんだよなぁ……。
という現下の状況を踏まえ、「オーストリアが持つヴェネィア、ダルマチア、南チロルのイタリア中核州の獲得」という大目標を達成に向けた、中長期的な戦略方針は以下の通り。
①オーストリアの仇敵であるドイツとの同盟維持
②オーストリア東部で権益争いをしているロシアとの同盟締結
③サヴォア、ニースを虎視眈々と狙うフランスとの友好関係維持
④石油、ゴムを算出するインドネシアの植民地獲得
⑤植民地戦争を円滑に行うためスペインを勢力圏に置く
⑥余裕があればアフリカの入植争いに参加する
①については、対オーストリアという点で完全に利害が一致しているので、特に何かをする必要はない。ハードな決断があるとすれば普仏戦争が始まったときにドイツに味方できるか否かという点。現下の状況では、南ドイツ諸邦が全て味方につけばタイに持ち込めるという感じか。ともあれ、オランダがベルギーを併合して、そのオランダをフランスが食って強大化した――という流れが痛い。ジャワ縛りの有無はどうあれ、早いうちにベルギーに味方して、ベネルクス三国を鼎立させておくべきだったんだなぁ。
②は、ゲーム開始からこつこつと友好を深めてきているので、あとはタイミングさえ良ければ同盟できるはず。ロシアとの同盟は、対オーストリア戦争での戦力以上に、対フランス戦争で局外中立を守ってくれることの意味が大きい。史実通り露仏協商となってしまったらドイツは滅ぶし、ドイツ頼りで旧大陸でデカイ顔をしているイタリアも滅ぶことになるからね。
で、普仏戦争が起きるまでは寝た子を起こさないのが得策なので、③の通りフランスとの友好関係は維持しておく。フランスとの関係が冷え込むとすぐにもニース、サヴォアを獲りに来るし。
④は、植民地としてのアテがインドネシアにしかないため。ブルネイは石油を産出するので、これが最重点目標。余裕があればシャム、ベトナムを獲りたいところ。
⑤の目的は、キューバ、フィリピンの寄港地利用。一応、イギリスに通行許可は貰っているものの、これはいつ取り消されるかわからない。それにアメリカや日本、中国とも戦争する可能性はゼロではない――こんがらがった同盟関係のアヤで、勝手に宣戦される可能性もある――ので、確実に使える寄港地を確保するためにもスペインを影響圏に入れることは重要だったりする。何より対フランス戦争でピレネー山脈を前線にできることも大きい。
⑥は、すでにモロッコ、アルジェリア、チュニス、トリポリをスペイン、フランス、オスマンに獲られているので、入植争いで後手に回ることは確実。北~中央アフリカを全て得られれば無視できない規模の植民地兵を得られるし、ステート化すれば工場の一つくらいは建てられるけど、識字率低下や国家集中の浪費を考えれば、あまり益もない。なので、入植はインドネシアを軸に展開して、アフリカには余裕があれば打って出ることにする。
2012年1月4日水曜日
両シチリア王国通信(Victoria2日記):その5
南下するオーストリアの大軍団。蜘蛛の子を散らすように敗走する同盟軍。次々と占領される同盟諸国。イタリア建国を目指す我が軍に打つ手はないというのか?
というか敢えて手を打たないことが打つ手だったりする。「戦いは数だよ兄貴!」な戦争において、いかに機関銃を持った近衛兵といえど、農民だけで構成された士気&統制のとれてない動員兵でさえ倍以上相手にすることはできない。となれば、戦力を分散させて各個撃破するしかない。
というわけで、相手にいいように進軍させ、同盟諸国を占領させることで兵力を分散。孤立した軍団に主力(=全て近衛兵で編成された近衛師団、第1師団、第2師団)を当てることでジリジリと相手の力を削ぐことにする。
こうしてオーストリア軍が一通り南下し終えたところで、遊軍となっていた工兵師団をスイス経由でヴェローナに進軍。軍団の後背を脅かすとともに、パルマ攻略にあたっていたオーストリア軍(約3万)をジェノアに追い込んで包囲。これを殲滅する。
この勝利を契機に、戦況は逆転。その後、再びジェノアとフェラーラでオーストリア軍を包囲殲滅させたことで、南下してきたオーストリア軍の撃退に成功。同盟軍と“消化試合”を続けながら要衝を占領しつつ、開戦から1年経ったところで「ロンバルディア解放」を条件に和平条約を締結する。
オーストリアを相手にした喧嘩に勝ったことで、全てのイタリア都市国家を影響圏に置き、イタリア中核州であるロンバルディアを領土とすることに成功。これにより、政治決断である「進め! イタリア」が解禁されたので、早速クリックする。
途中、セーブ&リロードでライバル国家を担当するというチート以上のチートをやったものの――やり直しても良かったけど、どーせやることといえば影響圏争いであって、数字を眺めつつ優先度を変えるだけの単調な仕事だからね――、無事、イタリア王国建国に成功。「ガブールの外交」を決断せずに済んだので、ニース、アヌシー、シャンベリをフランスに獲られることもなかった。
イタリア建国後は、当然のように政治決断「未回収のイタリア」をクリック。これによりヴェネツィア、ダルマチア、南チロルがイタリアの中核州となる。国民は失地回復願望を抱き、↑の中核州を領土にしないと急進性が上がったりファシズムが勃興したりするので、オーストリアとの休戦期間が終わったら、すぐにでも統一戦争(=ただの侵略戦争)を興すことを心に決める。パートナーは北ドイツ連邦、バイエルンと、戦争中に友好関係を深めたロシア帝国。ロシアとの同盟が締結できれば四方からオーストリアを蹂躙できるので、今回のように苦戦することはないはずだ。
というか敢えて手を打たないことが打つ手だったりする。「戦いは数だよ兄貴!」な戦争において、いかに機関銃を持った近衛兵といえど、農民だけで構成された士気&統制のとれてない動員兵でさえ倍以上相手にすることはできない。となれば、戦力を分散させて各個撃破するしかない。
というわけで、相手にいいように進軍させ、同盟諸国を占領させることで兵力を分散。孤立した軍団に主力(=全て近衛兵で編成された近衛師団、第1師団、第2師団)を当てることでジリジリと相手の力を削ぐことにする。
こうしてオーストリア軍が一通り南下し終えたところで、遊軍となっていた工兵師団をスイス経由でヴェローナに進軍。軍団の後背を脅かすとともに、パルマ攻略にあたっていたオーストリア軍(約3万)をジェノアに追い込んで包囲。これを殲滅する。
この勝利を契機に、戦況は逆転。その後、再びジェノアとフェラーラでオーストリア軍を包囲殲滅させたことで、南下してきたオーストリア軍の撃退に成功。同盟軍と“消化試合”を続けながら要衝を占領しつつ、開戦から1年経ったところで「ロンバルディア解放」を条件に和平条約を締結する。
オーストリアを相手にした喧嘩に勝ったことで、全てのイタリア都市国家を影響圏に置き、イタリア中核州であるロンバルディアを領土とすることに成功。これにより、政治決断である「進め! イタリア」が解禁されたので、早速クリックする。
途中、セーブ&リロードでライバル国家を担当するというチート以上のチートをやったものの――やり直しても良かったけど、どーせやることといえば影響圏争いであって、数字を眺めつつ優先度を変えるだけの単調な仕事だからね――、無事、イタリア王国建国に成功。「ガブールの外交」を決断せずに済んだので、ニース、アヌシー、シャンベリをフランスに獲られることもなかった。
イタリア建国後は、当然のように政治決断「未回収のイタリア」をクリック。これによりヴェネツィア、ダルマチア、南チロルがイタリアの中核州となる。国民は失地回復願望を抱き、↑の中核州を領土にしないと急進性が上がったりファシズムが勃興したりするので、オーストリアとの休戦期間が終わったら、すぐにでも統一戦争(=ただの侵略戦争)を興すことを心に決める。パートナーは北ドイツ連邦、バイエルンと、戦争中に友好関係を深めたロシア帝国。ロシアとの同盟が締結できれば四方からオーストリアを蹂躙できるので、今回のように苦戦することはないはずだ。
2012年1月3日火曜日
両シチリア王国通信(Victoria2日記):その4
1860年からは「モデナの勢力圏を巡る不毛な10年間」が続く。何が不毛かって、影響力を高めるたびに「顧問追放」「大使追放」を連発されて、いつまでたってもオーストリアの影響圏から除外できないってことです。これ、オーストリアがモデナ以外に影響圏を及ぼしていればやりようもあったんだろうけど、モデナ一国だけだからなぁ。こっちが外交活動を活発化させると、すぐに反応して妨害してくるし。
というわけで、↑のようないたちごっこを続けているなか、61年に南北戦争(64年、痛みわけ)、67年に仏蘭戦争(68年、フランスがフランデレンをゲット)が勃発。68年から2年連続で政治改革(労働者連合を2段階解禁)を進めたり、ナイル川の水源を探索。その他は特に大きな動きはありませんでした。
で、9年ほどいたちごっこを続けた結果、「これ以上やってもゲーム終了までモデナを影響圏に置くことはできない」と判断。禁断のセーブ&リロードにより一時的にオーストリアを担当して、モデナへの影響力をリセット(イギリスに対する顧問追放)。即セーブしてから両シチリア王国を担当することで、無事、モデナを影響圏から除外することに成功。69年1月にモデナを勢力圏に追加しました。
1869年1月から来るべき対オーストリア戦争に向けての準備を始める。まず、影響下にある近隣諸国に通行許可を取ってオーストリアとの国境に常備兵力を配置。6月に総動員を発令して、動員兵力を「おとり師団」と「予備師団」に再編成。翌70年1月。機関銃待ちだった研究を解禁→完成したところを見計らって、オーストリアに宣戦布告する。
統一戦争という大義名分の下、ロンバルディア解放を目指す戦争には、同盟国である北ドイツ連邦とバイエルンのほか、ルッカ、モデナ、教皇領、パルマ、サルディニア・ピエモンテ、トスカーナが参戦(同盟国ギリシャは参戦拒否)。北のドイツ、西のバイエルン、南の両シチリアという三方面作戦を強いることに成功する。彼我の戦力差は2.5倍くらいあるものの、陸軍技術で機関銃を持ち、中心戦力に近衛兵旅団を置く編成なので、同数で戦えば絶対に負けないはず。北ドイツ連邦も開戦と同時に「モルトケの改革」を選択して、世界最強レベルの陸軍になっているだろうから、打つ手を間違わなければ勝てるはず。
大まかな戦略方針は「ヴェローナ、ブレシア、ベルガモのラインで敵を引きつけ、パルマ、モデナを通してジェノアに追い込み、ここで包囲殲滅する」というもの。おとりとなるのは、動員した「おとり師団」と同盟国の軍団。戦い方としては、「相手に攻めさせた後、予備師団を送り込む」という形を基本とする。防御で圧倒的な力を発揮する機関銃を最大限に生かした戦い方だ。
と、目論んでいても思い通りにいかないのが戦争の常。モデナは開戦早々に手持ち軍団が壊滅して勝手に和平条約を結ぶし、バイエルンも右に同じでオーストリア軍の通り道になってるし……という感じで、想像以上に大規模な軍団が南下。北ドイツ連邦は当然のようにオーストリア本土を蹂躙しているものの、軍団を包囲殲滅するような作戦をとっているわけではないので兵力はあんまり散らず、結局のところ両シチリア軍がオーストリア軍の2/3くらいを相手にすることに。果てさてどうなることやら……。
というわけで、↑のようないたちごっこを続けているなか、61年に南北戦争(64年、痛みわけ)、67年に仏蘭戦争(68年、フランスがフランデレンをゲット)が勃発。68年から2年連続で政治改革(労働者連合を2段階解禁)を進めたり、ナイル川の水源を探索。その他は特に大きな動きはありませんでした。
で、9年ほどいたちごっこを続けた結果、「これ以上やってもゲーム終了までモデナを影響圏に置くことはできない」と判断。禁断のセーブ&リロードにより一時的にオーストリアを担当して、モデナへの影響力をリセット(イギリスに対する顧問追放)。即セーブしてから両シチリア王国を担当することで、無事、モデナを影響圏から除外することに成功。69年1月にモデナを勢力圏に追加しました。
1869年1月から来るべき対オーストリア戦争に向けての準備を始める。まず、影響下にある近隣諸国に通行許可を取ってオーストリアとの国境に常備兵力を配置。6月に総動員を発令して、動員兵力を「おとり師団」と「予備師団」に再編成。翌70年1月。機関銃待ちだった研究を解禁→完成したところを見計らって、オーストリアに宣戦布告する。
統一戦争という大義名分の下、ロンバルディア解放を目指す戦争には、同盟国である北ドイツ連邦とバイエルンのほか、ルッカ、モデナ、教皇領、パルマ、サルディニア・ピエモンテ、トスカーナが参戦(同盟国ギリシャは参戦拒否)。北のドイツ、西のバイエルン、南の両シチリアという三方面作戦を強いることに成功する。彼我の戦力差は2.5倍くらいあるものの、陸軍技術で機関銃を持ち、中心戦力に近衛兵旅団を置く編成なので、同数で戦えば絶対に負けないはず。北ドイツ連邦も開戦と同時に「モルトケの改革」を選択して、世界最強レベルの陸軍になっているだろうから、打つ手を間違わなければ勝てるはず。
大まかな戦略方針は「ヴェローナ、ブレシア、ベルガモのラインで敵を引きつけ、パルマ、モデナを通してジェノアに追い込み、ここで包囲殲滅する」というもの。おとりとなるのは、動員した「おとり師団」と同盟国の軍団。戦い方としては、「相手に攻めさせた後、予備師団を送り込む」という形を基本とする。防御で圧倒的な力を発揮する機関銃を最大限に生かした戦い方だ。
と、目論んでいても思い通りにいかないのが戦争の常。モデナは開戦早々に手持ち軍団が壊滅して勝手に和平条約を結ぶし、バイエルンも右に同じでオーストリア軍の通り道になってるし……という感じで、想像以上に大規模な軍団が南下。北ドイツ連邦は当然のようにオーストリア本土を蹂躙しているものの、軍団を包囲殲滅するような作戦をとっているわけではないので兵力はあんまり散らず、結局のところ両シチリア軍がオーストリア軍の2/3くらいを相手にすることに。果てさてどうなることやら……。
2012年1月2日月曜日
両シチリア王国通信(Victoria2日記):その3
1851年2月。機能主義が完成。生物学主義の研究を始める。やっぱり教育効率を上げ、識字率を向上することこそが強国への近道だよ。陸軍技術がヘボくて、旧大陸で一番弱い軍隊っぽくなってるけど、そんなもの戦争さえしなければどうということはないわけで……って統一戦争までには後装式ライフルまで装備しておきたいなぁ。9月、オスマン帝国より同盟の打診があったので受諾する。もし、ロシア帝国と手を結ぶことができれば、オーストリアを4方向から攻められる! なお、11月には北ドイツ連邦が成立した。
1852年6月。輸送汽船を発明。これで事実上、全世界に打って出られるようになった。アジア、アフリカでの植民地戦争をやりたいところだけど、中国、日本を割譲して植民地兵を量産するようなプレイヤーチートは止めておく。ともあれ艦隊を再編成しなければ。
1853年10月。生物学主義が完成。これで現時点における教育効率を上げる研究は全て終わった。というわけで、前装式ライフルの研究をスタート。来るべき戦争に備える。
ここからは自国、欧州情勢とも平穏なままで、再び“見”の姿勢に。外交活動と研究活動を地味に進める。1855年1月に前装式ライフル、1856年10月に後装式ライフル、1857年12月に陸軍の専門知識を完成。これでオーストリアくらいであれば、同数で五分の戦いができるはず。次の研究は鉄道。
1857年7月。ついにサルディニア・ピエモンテを勢力圏に追加。残るはモデナだけど、オーストリアの勢力圏にあるのがモデナだけなんで、外交ポイントがいいところまで溜まると顧問追放or大使追放を喰らうのがなぁ……。正直、サシで外交合戦をやるといたちごっこになってしまうので、最終的な選択肢(=勢力圏追加の名目でオーストリアに喧嘩を売る)も考えなければならないのかも。まぁ、この選択肢もオーストリアがロシアかプロイセンと喧嘩している最中じゃないと取りえないんだけど。
1858年9月。かねてから進めていた軍事改革を終了。これまで歩兵30個旅団だった編成を、近衛兵20個旅団、歩兵10個旅団、工兵4個旅団に再編する。しばらく経つとブランデーが買えなくなるから、いまのうちに兵力を更新しておかないとね。ちなみに海軍は通商襲撃艦40隻、輸送汽船30隻という編成。
1859年1月。鉄道が完成。研究は鉄製汽船待ちのため中断。戦艦さえしこたま作っておけば20世紀に入るまでは海軍無双(イギリス、フランス除く)できるということで。
で、以下、1860年1月時点のわが国の状況です。
1852年6月。輸送汽船を発明。これで事実上、全世界に打って出られるようになった。アジア、アフリカでの植民地戦争をやりたいところだけど、中国、日本を割譲して植民地兵を量産するようなプレイヤーチートは止めておく。ともあれ艦隊を再編成しなければ。
1853年10月。生物学主義が完成。これで現時点における教育効率を上げる研究は全て終わった。というわけで、前装式ライフルの研究をスタート。来るべき戦争に備える。
ここからは自国、欧州情勢とも平穏なままで、再び“見”の姿勢に。外交活動と研究活動を地味に進める。1855年1月に前装式ライフル、1856年10月に後装式ライフル、1857年12月に陸軍の専門知識を完成。これでオーストリアくらいであれば、同数で五分の戦いができるはず。次の研究は鉄道。
1857年7月。ついにサルディニア・ピエモンテを勢力圏に追加。残るはモデナだけど、オーストリアの勢力圏にあるのがモデナだけなんで、外交ポイントがいいところまで溜まると顧問追放or大使追放を喰らうのがなぁ……。正直、サシで外交合戦をやるといたちごっこになってしまうので、最終的な選択肢(=勢力圏追加の名目でオーストリアに喧嘩を売る)も考えなければならないのかも。まぁ、この選択肢もオーストリアがロシアかプロイセンと喧嘩している最中じゃないと取りえないんだけど。
1858年9月。かねてから進めていた軍事改革を終了。これまで歩兵30個旅団だった編成を、近衛兵20個旅団、歩兵10個旅団、工兵4個旅団に再編する。しばらく経つとブランデーが買えなくなるから、いまのうちに兵力を更新しておかないとね。ちなみに海軍は通商襲撃艦40隻、輸送汽船30隻という編成。
1859年1月。鉄道が完成。研究は鉄製汽船待ちのため中断。戦艦さえしこたま作っておけば20世紀に入るまでは海軍無双(イギリス、フランス除く)できるということで。
で、以下、1860年1月時点のわが国の状況です。
2012年1月1日日曜日
両シチリア王国通信(Victoria2日記):その2
昨日、書き忘れていた今回のプレイの縛りは以下の通り。
●鉄道網を持つ国との戦争において、包囲作戦は自国領でしかしない
●イタリア建国まで喜望峰より東の非文明国への宣戦布告はしない
●支那、ジャワの植民地兵でヒャッハー! は禁止
1839年1月。実用蒸気機関が完成。果樹園が多く工場も稼動したところなので、これで大幅に税収がアップするはず。次の研究はもちろん観念論待ち。あわせて与党と保守派から穏健主義派へと変更。さらなる税収アップを目指すとともに、軍備増強に向けて高級服、小銃、ブランデー、ワインの備蓄を開始。3月には輸送船を6隻建造。騎兵隊、砲兵隊を解散するとともに、歩兵隊を増強。最終的には22個旅団を編成する。
1840年の解禁を待って観念論の研究をスタート。軍備増強を終えた1841年7月、オスマンと戦争している隙をついてエジプトに宣戦布告。目的はスエズを含むステート「ディムヤート」の租界。オスマンにあらかたの戦力を片付けられたエジプトに抵抗する術はなく、1842年に和平。ディムヤートをゲットする。この間、観念論、鉄道が完成し、実証主義の研究を進める。やっぱり米百俵の精神は大事だよ。
と、イタリア都市国家への外交活動と、エジプトへの侵略戦争と、軍港整備などでまったりしていた1843年7月、大ニュースが飛び込んでくる。なんとオーストリアがプロイセンに宣戦布告。思わぬ形で普墺戦争が勃発した。オーストリアの目的は「シュレンジェン獲得」。プロイセンとサシであれば勝てるのかもしれないけど、ドイツ諸邦は全てプロイセンに味方する。両シチリア王国としては、イタリア王国建国のための統一戦争でオーストリアに喧嘩を売ることは必至なので、ここではプロイセンに戦費補助を約束。あわせて関係向上を目指し外交活動を活発化させる。
1844年1月。ゲーム開始以来、自由主義勢力伸張に向けて努力(=イベントでの選択肢で全て自由主義伸張を選択)した結果、自由主義勢力が上院の第一勢力となることが確定。政治改革が可能となったところで、地主限定の投票権を選択。これにて両シチリア王国は「絶対王政」から「プロイセン式立憲君主制」へと政体変更することに。あわせて、プロイセンとの同盟も締結。これに加えてフランスとの同盟or局外中立が約束できれば、来るべきイタリア統一戦争は勝ったも同然だ。てか、プロイセンはわが国に参戦要求すれ。旧大陸で暴れてみたいよ。
1844年7月。久しぶりに税制を大幅に改正。100%だった税率を下流層50%、中流層30%、富裕層29%へと減税。関税も47%へと軽減する。この逆進課税は、資本家と事務員を増やしたいがためのこと。現実世界でやったら政権交代どころか革命沙汰になるわね。9月には第1回総選挙が終了。結果は穏健主義派の勝利となった。11月には実証主義が完成。医薬の研究を開始する。
ここから1848年までは“見”の姿勢。トスカーナ、パルマ、ルッカを影響圏に置いたり、普墺戦争が痛みわけで終わったり、フランスvsオランダ戦争が勃発したり(48年4月、フランスがワロニーを獲得して終了)、医薬を完成させ、汽船の研究をしたりする。で、1848年9月には汽船を完成。あわせて通称襲撃艦を発明。機能主義の研究をスタートする。
そうこうしているうちに1850年に突入。教皇領を影響圏に置き、あとはサルディニア・ピエモンテ、モデナを影響圏に置けばイタリア建国も見えてくるんだけど、フランスとオーストリアが我が国の大使を追放するんだよママン!
●鉄道網を持つ国との戦争において、包囲作戦は自国領でしかしない
●イタリア建国まで喜望峰より東の非文明国への宣戦布告はしない
●支那、ジャワの植民地兵でヒャッハー! は禁止
1839年1月。実用蒸気機関が完成。果樹園が多く工場も稼動したところなので、これで大幅に税収がアップするはず。次の研究はもちろん観念論待ち。あわせて与党と保守派から穏健主義派へと変更。さらなる税収アップを目指すとともに、軍備増強に向けて高級服、小銃、ブランデー、ワインの備蓄を開始。3月には輸送船を6隻建造。騎兵隊、砲兵隊を解散するとともに、歩兵隊を増強。最終的には22個旅団を編成する。
1840年の解禁を待って観念論の研究をスタート。軍備増強を終えた1841年7月、オスマンと戦争している隙をついてエジプトに宣戦布告。目的はスエズを含むステート「ディムヤート」の租界。オスマンにあらかたの戦力を片付けられたエジプトに抵抗する術はなく、1842年に和平。ディムヤートをゲットする。この間、観念論、鉄道が完成し、実証主義の研究を進める。やっぱり米百俵の精神は大事だよ。
と、イタリア都市国家への外交活動と、エジプトへの侵略戦争と、軍港整備などでまったりしていた1843年7月、大ニュースが飛び込んでくる。なんとオーストリアがプロイセンに宣戦布告。思わぬ形で普墺戦争が勃発した。オーストリアの目的は「シュレンジェン獲得」。プロイセンとサシであれば勝てるのかもしれないけど、ドイツ諸邦は全てプロイセンに味方する。両シチリア王国としては、イタリア王国建国のための統一戦争でオーストリアに喧嘩を売ることは必至なので、ここではプロイセンに戦費補助を約束。あわせて関係向上を目指し外交活動を活発化させる。
1844年1月。ゲーム開始以来、自由主義勢力伸張に向けて努力(=イベントでの選択肢で全て自由主義伸張を選択)した結果、自由主義勢力が上院の第一勢力となることが確定。政治改革が可能となったところで、地主限定の投票権を選択。これにて両シチリア王国は「絶対王政」から「プロイセン式立憲君主制」へと政体変更することに。あわせて、プロイセンとの同盟も締結。これに加えてフランスとの同盟or局外中立が約束できれば、来るべきイタリア統一戦争は勝ったも同然だ。てか、プロイセンはわが国に参戦要求すれ。旧大陸で暴れてみたいよ。
1844年7月。久しぶりに税制を大幅に改正。100%だった税率を下流層50%、中流層30%、富裕層29%へと減税。関税も47%へと軽減する。この逆進課税は、資本家と事務員を増やしたいがためのこと。現実世界でやったら政権交代どころか革命沙汰になるわね。9月には第1回総選挙が終了。結果は穏健主義派の勝利となった。11月には実証主義が完成。医薬の研究を開始する。
ここから1848年までは“見”の姿勢。トスカーナ、パルマ、ルッカを影響圏に置いたり、普墺戦争が痛みわけで終わったり、フランスvsオランダ戦争が勃発したり(48年4月、フランスがワロニーを獲得して終了)、医薬を完成させ、汽船の研究をしたりする。で、1848年9月には汽船を完成。あわせて通称襲撃艦を発明。機能主義の研究をスタートする。
そうこうしているうちに1850年に突入。教皇領を影響圏に置き、あとはサルディニア・ピエモンテ、モデナを影響圏に置けばイタリア建国も見えてくるんだけど、フランスとオーストリアが我が国の大使を追放するんだよママン!
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