2010年10月14日木曜日

<絶版兵頭本>紹介@『戦記が語る日本陸軍』(掲載コラム):その3

◆「烈風があったなら…」~戦後もっとも支持された虚構
・奥宮・堀越共著『零戦』が戦後の日本人に与えたインパクトはあまりに大きい。「日本はあれ以外に何をしようが結局アメリカには勝てなかったのか?」という素朴で根本的な疑念に、技術的に権威ある論拠を揃えて応えた随一の書だったから。

・堀越は「MK9A」エンジンを早く制式選定していれば、「烈風」がマリアナ海戦までに実用化されF6Fにも勝てた――という自画自賛を展開した。この神話は、初版から40年経った今日でも戦記小説などで再生産されている。

・内燃機関の機械工作上の困難は、大はピストン、小は排気弁や噴射ポンプなどが「高温高圧を封じ込めると同時に摺動する」ことを要求される点にある。このため接合部では緊度(プラスの公差)はあってならず、遊隙(マイナスの公差)は限りなくゼロに近くしなければならない。

・日本のエンジン工場では、熟練ヤスリ工が細工物のように手仕上げしていくために、高精度を求めるほど生産性と精度が低下していった。単能精密工作機械を並べ、婦女子を使いながら互換性のあるエンジン部品を大量生産していたアメリカとは、同日の談ではなかった。

・「MK9A」のような2000馬力級のエンジンは、それまでの公差数ミクロンから更に1~2桁精度を向上させる必要があった。これは熟練ヤスリ工でも無理な話。試製「MK9A」は、試運転と開放検査と研磨を繰り返してようやく完成したモノ。一方、昭和16年に完成していた「誉」エンジンは、「疾風」「紫電改」の量産が始まると開放検査を省略して大量生産された。

・2000馬力級エンジンの生産にあたって開放検査工程を省略するのは、ほとんど暴挙。「疾風」が実施部隊で調子が出なかったのも当然。結局、「MK9A」は8機の「烈風」試作機体のため2基しか作れなかった。大量生産などできるはずもなかったのだ。

・部品の製造公差を上げられない日本が、アメリカと航空戦争を戦うためには「火星」エンジンのようなシリンダー圧そのものは「栄」エンジンと大差ない大径大馬力エンジンか、致命的な摺動部品が少なく蒸気タービンと同じように開放検査を省略できる可能性があったターボジェットエンジンに賭けてみるしかなかっただろう。

・東京帝大から三菱重工に進んだ昭和の超技術エリートの堀越に、小卒の職工が油まみれになってヤスリをかけていた工場の実装など、まるで視野になかったとして怪しむに足りない。

◆旧軍航空隊が活躍する戦後マンガ
・「海軍パイロット=カッコイイ」というステレオタイプは、戦前には既に軍国少年のあいだで定着していた。優秀なパイロットは得難いため、海軍航空隊が陸軍や連合艦隊以上に広報を重視していたためだ。

・昭和10年代生まれの少年たちが戦後成人して作家になると、世相におもねりつつも自分の中でイメージ豊富な海軍航空隊を活躍させずにはいられなかった。彼らには陸軍航空隊の知識は「加藤隼戦闘隊」くらいしかなく。「陸軍=暗愚。連合艦隊=閉鎖的」という大衆側のイメージも定着していたため、カッコいいキャラを自在に展開できるのは海軍航空隊モノに限られていたという事情もあった。

・昭和27年に日本占領が終わると、貸本業界で絵物語という形で復古。60年安保闘争は保守サイドからの強い反発を招き、出版業界では戦争モノを大々的に取り上げるようになった。大手には検閲恐怖症が残っていたためか、最初に手がけたのは中小規模の秋田書店や少年画報社だった。

・貝塚ひろしの「ゼロ戦レッド」を皮切りに類似作品が頻出。辻はやとの「0戦はやと」は海軍航空隊モノの黄金パターンを確立した。つまり、単純なキャラの主人公が米軍相手に大暴れして、最後に唐突に特攻戦死することで「好戦的じゃありません」とPTA向けに挨拶するようなパターン。

・この黄金パターンからいち早く脱却したのは松本零士。主人公はコンプリケイテドなキャラでことに敵愾心が希薄に描かれる一方、メカの描写は正確・精密で、航空機や狙撃銃そのものがキャラクターの地位に昇格したようなもの。フィクションとしては邪道かも知れないが、これが左翼の攻撃から安全な戦争マンガ技法の一つの範となった。

◆日本の戦争映画が娯楽にならない理由
・南方に孤立している暴れ者揃いの航空隊に若い隊長がやってくる。最初は部下の反発を買うが、次第に統率を確立していく……というプロットは、旧軍航空隊を書いたマンガで必ずといっていいほど使われるパターン。

・そのルーツは日本の戦争映画にあり、さらに遡るとパクリ元である戦前のハリウッド映画にいきついてしまう。戦前に成人していた日本の映画人が、戦後、ハリウッド映画を参考にしないと娯楽作品が作れなかったのは、いささか情けない。

・しかも、ハリウッド製の戦争娯楽映画のテーマは「暴力」なのに、それを真似た日本の映画のテーマはなぜか「死」にすりかわっている。その理由は、戦史を自分なりに研究しようとせず、戦争のコンテクストや旧軍人の評価について自分なりの見解がないのに、戦後教育で「太平洋戦争史観」だけは脳移植されている日本の映画人が、よってたかって内容にチェックを入れたためだろう。GHQ恩賜の「太平洋戦争史観」を奉唱する限り、戦争フィクションのテーマは「死」にしかなりえないのだ。

・昭和56年の「連合艦隊」で、実名非難のタブーがなくなり南雲、栗田も愚将として描かれた。これがヒットしたことで、この時期、戦争映画の製作が相次いだ。しかし、表現上の制約(実名忌避など)がなくなっているにも関わらず、「死のテーマ」の反芻は相変わらずだった。日本の戦争映画は、昭和フタケタ生まれの貧乏漫画家たちの想像力を未だに超えられないでいる。

◆ 「if戦記」と「近未来戦」小説ブーム<1>
・米ソの大量報復核戦略は、小説の想像力を遥かに超えてしまった。核戦争のリアリズムが誰にも掴めぬまま『渚にて』のような悲観的なSFも書かれた。戦術核を駆使した近未来戦小説の書き手は、欧米でも育たなかった。

・ところが69年に中ソ核戦争の危機が過ぎ、相互確証破壊態勢を確立すると、核兵器は使えない兵器だという認識が広まる。結果、78年には『第三次世界大戦 1985年8月』が公刊される。

・同書は、核兵器が使えない状況を設定し、欧州における空陸の戦闘を通常兵器だけを使って展開させた点がミソ。これならば、軍人にもよくわからない核戦争のディテールを活写してみせる作業を避けられる。

・このコロンブスの卵に、日本の大衆ジャーナリズムが飛びついた。ソ連軍が佐渡島に橋頭堡を築き、新潟から東京を衝く、という荒唐無稽な軍事シミュレーション小説『ソ連軍日本上陸! 第三次世界大戦・日本篇』はこうして書かれた。

・こんな小説でも一般読者の軍事知識が皆無に近かったため、刺激性は十分あって中ヒットとなった。その後、矢継ぎ早に同工異曲の作品が数人の著者の手で上梓された。これらの作品はハケットの作品にディテールでも筆力でも及ばす、2年ほどで飽きられた。

・しかし、この「近未来戦」小説ブームの終わりとともに始まる80年代は、やがて来る「if戦記」ジャンル確立の下地が用意された10年でもあった。このあいだに、マニアックな資料がメディアから提供され、兵器・戦史オタクが増え、スケールモデラーが現れた。

・これらの震源地は『ホビー・ジャパン』。同誌の版元はヘックスで兵棋を動かすボードシミュレーションを輸入し、普及を図った。これらのゲームはPCに移植され、『大戦略』『信長の野望』を生む。

・ほとんどの戦史オタクは、二次~三次資料に依存し、自ら一次資料にトルク向きは全くなかった。しかし彼らは、伊藤正徳が定着させた単純な「海軍賛歌」史観からいち早く抜け出した。最新の二次~三次資料を踏まえていない安易な「if戦記」にそっぽを向くという点で、彼ら戦史オタクの存在も、兵器オタク同様に、「if戦記」の書き手をふるいわけする作用を果たした。

◆ 「if戦記」と「近未来戦」小説ブーム<2>
・71年、高木彬光は『連合艦隊ついに勝つ ミッドウェーからレイテ海戦まで』を上梓した。ストーリーは“戦史オタク”の雑誌記者が、日本艦隊の旗艦にタイムスリップし、“お告げ”によって海戦の結果を逆転させてしまうが、個々の海戦に勝っても大局は覆らず、主人公は歴史を変えることを諦める――というもの。

・「if戦記」の嚆矢だが、「タイムスリップした主人公に歴史を変えさせてはいけない」というオーソドックスなSFの約束事にとらわれていた。これは『戦国自衛隊』『ファイナル・カウントダウン』も同様。

・この“お約束”を打ち破って、同じ作家が架空戦記だけでメシが喰えるようにしたのが「パラレルワールド」という舶来概念の導入。試行錯誤の末にスタイルが確立され、ようやく「if戦記」は全盛を迎える。

・ブームの原因は単純。日本の大衆は、知れば知るほど先の大戦の経過に不満を募らせ、日本の映画やテレビがその憤懣を解消してくれないことにフラストレーションを鬱積させていたからだ。この「if戦記」ブームで強気になった版元は、現実世界の紛争に自衛隊が巻き込まれる「近未来戦」小説をも刊行し始めた。











2010年10月13日水曜日

<絶版兵頭本>紹介@『戦記が語る日本陸軍』(掲載コラム):その2

◆誤訳戦記とホンダの空冷エンジン
・本田宗一郎は、バイクからクルマへビジネスを拡大する際、空冷エンジンに固執した。反対する部下を言いくるめるための理屈が「ドイツの戦車部隊は空冷だったから、ロンメルは大活躍できた」というもの。

・最初から空冷でいくと決めていたため持論の補強に用いたに過ぎないだろうが、繰り返し言っているうちに真実と思い込んだ節がある。

・もちろんドイツ軍の戦車は、空冷ではなく水冷四サイクルのガソリンエンジンだった。空冷が使われていたのはイタリア軍の戦車とアメリカ軍の軽戦車のみで、お世辞にも活躍したとはいい難い。では、本田の信じた「ドイツ戦車は空冷エンジン」というハナシはどこから来たのか?

・ロンメルが活躍した北アフリカの戦いはイギリス軍にとって最後の光輝といえるものだった。だからこそイギリス人史家は、この戦いをドラマチックに取り上げた。

・さて、イギリスは工業大国だったが自動車産業はアメリカの後塵を拝していた。対独開戦前までのイギリスの戦車は、水冷エンジンの冷却がうまくいかず苦労していた。一方、ドイツの戦車は水冷エンジンの放熱問題で全く悩んでいないように見えた。

・これに感銘を受けたイギリス人は、「ドイツの戦車は<クーリングシステム>が優れていた」と筆を揃えて賞賛した。<ラジエター>といわず<クーリングシステム>といったのは、イギリスでは専門家が一般向けの本を書くときには、できるだけ「学界用語」を避けるという慣習があるため(アメリカとは全く逆の現象)。

・昭和30年代には、こうしたイギリス人の北アフリカ戦史が和訳される。その際、<クーリングシステム>とあるところが<クーラー>と訳されることが多かった。このため当時の読者には「ドイツの戦車にはエアコンがついていて、乗員は涼しく戦闘できた」と勘違いしている人が少なくない。

・若き本田宗一郎は、この<クーラー>を、空冷エンジンの送風機の誤訳だと深読みしたのではなかったか? <ラジエター>と正確に訳されていたら、ホンダのクルマは最初から水冷路線となって、日本の自動車産業の構図も少しは変化していたかもしれない。

◆輸入できなかった“正統派”戦略論
・マハンはクラウゼビッツ理論から刺激を受け、『戦争論』を海上にあてはめるところから出発して、遂に現代海洋戦略論の祖という名声を獲得した。日本海軍は秋山真之を通じてマハン理論を受け入れたが、マハン理論の背景にはクラウゼヴィッツだけでなく、大英帝国史やローマ帝国史があり、それらをひっくるめた各国別の地政学が完成しつつあることまでは、研究が及ばなかった。

・「公海の内水化」「分割して統治せよ」「二方面作戦を避けよ」といった知恵は、全て古代ローマ人が書き残した教え。英国もソ連もこの最も古い準則に従って行動しようとしたに過ぎない。これを踏まえていなかったからこそ、日本の軍部は列強の次の言ってを最後まで読み間違った。

・欧米人は第一次大戦の結果から軍事理論体系の反省(『戦争論』の再評価)を試み、その混乱の中からリデルハートが「間接的アプローチ論」を生み出す。これは『孫子』のあまり精緻ではないテキストからダイレクトに影響を受けたものだった。

・日本の陸海軍は、第一次大戦後も『戦争論』の再評価をせず、その下流にあたる戦術、戦技についての悩みを深めたようだ。そしてどういうわけか、明治生まれの海軍人において、禅の世界への傾倒が非常に目立った。

・山路一善などは禅の公案をタイトルにした『隻手の声』という本を上梓したほど。これはアラブの古諺「人は片手で拍手することはできない」をそのまま翻訳したもの。他の公案も深い意味はない。およそ軍人がのめりこむような問題ではなかった。

◆戦後の軍歌はなぜつまらないか
・膠着語の自然な口語では、文末が用言で終わることが多い。この用言止めを使って詩を作り曲をつけようとすると、メロディの一フレーズが終わる相当前から、フレーズにあてられている詩の行末(一文の意味)が聴く側に推定されてしまう。詩文の与える感動と旋律の与える情動が一致せず、感作力が薄まってしまうのだ。

・英語(欧印語)ではこの問題は起こらない。口語でも文語でもたいてい文末に体言や名詞句がくる。フレーズと詩の区切りが“同時弾着”になるので、歌の持つ感作力がより大きくなる。加えて英語では、どんなに不出来な詩でも、緩急強弱さまざまな音符・調子に乗せて歌いやすいという点で、他の欧印語を圧倒する自在性がある。

・日本語の歌でこれに迫ろうとするためには、二つのアプローチがあろう。一つはテンポを非常にゆっくりにすること。もう一つは意図的に体言止めを多用した文語で詩を作ること。しかし、明治以降、世の中万事スピーディになると、地唄や小唄のテンポで唱歌や軍歌をつくつことはとうてい不可能になった。そこで唱歌や軍歌には体言止めの文語が多用された。

・この手法は、戦後、演歌や初期の左翼運動歌に短期間引き継がれたが、70年代安保終了後急速に消えていった。

◆ビジネス書のタイトルが示す“日本型組織論”の盲点<1>
・戦時中、兵器増産に追われた軍工廠は、米国の科学的管理手法を必死で研究した。戦後になると米国式経営管理ソフトの直輸入が図られた。

・米国では企業経営者が戦時に軍の指揮官に横滑りしたり、平時にはその逆の転身も普通に見られ、本来軍用であるハード、ソフトも経営管理に応用されている。

・60年代以降は、米国経営学の直輸入に対する疑念や日本式経営の再評価の機運が反映され始める。と同時に、日本の企業風土にマッチした経営学のヒントを、日本古来の兵法や旧軍参謀システムの中に見出そうとするビジネス書も出てくる。

・このトレンドを大爆発させたのが山崎豊子の長編小説『不毛地帯』。この連載が始まると、早くも「参謀」というキーワードを取り込んだタイトルのビジネス書が出始める。ビジネス書ではないが、中公新書の『ドイツ参謀本部』(渡部昇一著)もタイムリーに上梓された。

・小説の第一部が完結した昭和51年以降は、毎年一冊以上は必ず「参謀」絡みのタイトルを持つビジネス書が出版されるようになる。また、「参謀」ブームに便乗するように、日本古来の兵法をタイトルに謳うビジネス書も点数を増していった。

・70年代末から80年代末にかけては、日本経済の躍進と米国経済の低迷のコントラストがハッキリとしたため、日本的経営を再評価するタイトルが頻出する。バブル絶頂期を迎え、かつての米国流組織経営に学ぼうという姿勢は、日本型組織の自画自賛にすっかり置き換わる。これは“不毛地帯の勝利”というべき現象だろう。

・『不毛地帯』は主人公が社内に強力な参謀組織を構築。ワンマン経営を終わらせ、旧陸軍流組織のVサインをもって完結する。しかし、山崎豊子は旧軍にも現代の大企業にも、日本人のつくっている組織には独特な共通点があり、この共通点が米国流組織との競争では対抗不能の弱点にもなり得ることには注意を向けなかった。

◆ビジネス書のタイトルが示す“日本型組織論”の盲点<2>
・日本軍は米軍に敗れた。これは日本軍の組織のソフトウェアが、米軍のそれに敗れたということ。しかし、戦後のおびただしいビジネス書は、ついぞその両者のソフトウェアの本質が何かを抉り出すことはなかった。

・旧軍を貫いていたのは、「非家族組織における“養老”の風習」だった。これは戦後の日本企業にも丸々生き残っている。しかし、それを指摘することはビジネス書のユーザーである経営者を怒らせただけだったし、日本文化の否定というラディカルな結論にもなって、論者の人格的中庸が疑われる危険があっただろう。

・一方、米軍の組織の本質は「マニュアル」にある。アメリカのリーダーたちは、良いマニュアルを策定することで、大勢の弱卒を有能な強兵と同じように行動させる。

・良いマニュアルを策定するためには、部下以上の洞察力と言語能力が必要。「できる者」が自分の獲得した秘術を科学的に分析したうえで、「できない者」の立場にたって説明する必要がある。

・こうした良いマニュアルの威力は絶大。だから、米国の組織はマニュアルを策定できる才能を見出し、リーダーとして処遇して力量を発揮させる。

・ところが日本では、部下や後輩が上司や先輩をサポートするのは当然という考え方で、社会組織の全てが動いている。儒教圏の中国、韓国でも、血族でもない限りここまではしない。それが当然視される「非家族組織における“養老”の風習」は、儒教圏でも日本だけの組織文化。

・部下の上司に対する“養老”が与件となっていると、上司が部下をよりよく働かせるために、良いマニュアルを策定する必要がない。だから言語能力も評価されず伸びることはない。こういうわけで日本では、首相や司令官や参謀は、部下にとって言語的に“idiot”でも務まるのだ。

・ことほどさように「養老組織」と「マニュアル組織」は水と油。「養老組織」である日本企業が「マニュアル組織」を摂取することなど、はじめからできることはなかった。零戦、大和といった既存技術の延長線上での極端化でしか武器の開発を進められなかったのは、高級参謀の頭に染み付いているが故にことさら説明をしないですむものだから。

・多くの日本人は、自己のマニュアル策定能力の不足を自覚するがゆえに、ナンバーワンになることを恐れている。そこで、トップの次に位置し、トップから相談された課題を一所懸命に答解してみせるだけで全組織から有能と認めてもらえるポジション――という勝手な「参謀」像を抱いている。

・日本はそもそも米国の科学技術力に敗北したのか? それ以前に各級リーダーの言語能力において、日本人は米国人に完敗していたのではないか? そして、いまもなお米国人に負け続けているのではないか。中卒後、ただちに大学受験ができるような“学制破壊”でもしないかぎり、この言語能力の差は永遠に埋まらないように思われる。

2010年10月12日火曜日

<絶版兵頭本>紹介@『戦記が語る日本陸軍』(掲載コラム):その1

●基本データ
・書名:『戦記が語る日本陸軍』
・著者:宗像和広
・発行:銀河出版
・初版発行:96年5月15日

●目次
◆第一章:総合戦史を読む
◆第二章:日本陸軍の大要を読む
◆第三章:個別戦記を読む
◆第四章:兵科・戦術を読む
◆第五章:米英側から読む
◆第六章:軍閥・軍人を読む
◆第七章:支那事変を読む
◆第八章:陸軍航空を読む
◆第九章:陸軍兵器を読む
◆第十章:海軍その他を読む

●兵頭二十八コラムの見出し
◆誤訳戦記とホンダの空冷エンジン(29p)
◆「烈風があったなら…」~戦後もっとも支持された虚構(41~43p)
◆旧軍航空隊が活躍する戦後マンガ(72~76p)
◆日本の戦争映画が娯楽にならない理由(90~94p)
◆輸入できなかった“正統派”戦略論(122p)
◆戦後の軍歌はなぜつまらないか(140p)
◆「if戦記」と「近未来戦」小説ブーム<1>(153~155p)
◆「if戦記」と「近未来戦」小説ブーム<2>(172~173p)
◆ビジネス書のタイトルが示す“日本型組織論”の盲点<1>(192~194p)
◆ビジネス書のタイトルが示す“日本型組織論”の盲点<2>(207~209p)

――陸軍兵器本でコンビを組んでいた宗像和広氏の著書。兵頭師は章末のコラムを担当している。なお同書の内容は、「本書は日本陸軍に関する軍制・戦史・兵器解説の中から主なものを選び出し、そのダイジェストないしは成立過程を紹介するもの」(3頁)とあるように、岩波新書から洋書までを幅広く紹介したもの。巻末の戦記・戦史一覧(1945~1995年までに発刊された1100点超の書籍タイトルを網羅)も素晴らしい。

2010年10月11日月曜日

ネガるくらいでちょうどいい

V逸&連敗終戦も…渡辺監督「辞めるのは無責任」

確かに言うとおりだけど、9月下旬から今日までの結果は、「ソフトバンクやロッテの急伸」ではなくて「西武の失速」によって必然的に生起されたものでしょ。渡辺久信監督には酷かも知れないけど、今日の不甲斐ない結果は一に監督の責任だと思うのですよ。確かに中継ぎ陣があまりにもダメだったのは確かだけど、それだって「そのときに調子の良い投手を酷使して壊す」ことを続けてきた采配の結果であってね。だからこそ小野寺力投手や工藤公康投手を使わざるを得なかったわけだし。工藤投手の二敗がなければ余裕で優勝できていたわけだから。

秋季キャンプ以降から大久保博元コーチを欠き、黒江透修を追い出したことで腕利きのベテランコーチからそっぽを向かれるなかで、どうやってチームを立て直していくのか? CSの惨敗でチームの士気が底に落ちたなかで、先行きは暗いんじゃないかなぁ……。

と、厳しいことをいうのは、こういうふざけたことを言ってたからですよ。「Vやねん!」もそうだけど、“フラグ”を立てると回収されるもんなんだねぇ。やっぱりネガつくらいでちょうどいいわ。

2010年10月10日日曜日

総統閣下シリーズで一番共感しました

【ニコニコ動画】総統閣下がCivilization5の販売方法についてお怒りのようです

公式βテスターザマァm9(^Д^) とか思って余裕ぶっこいていたらコレだよorz。それにしてもさすがヨシフは総統閣下と違って抜け目がない。ま、いまのPCはスペックが全然足りてないから拡張パックが出たときに参入すればいいや。それまではFall from Heaven 2でもやってよっと。



2010年10月9日土曜日

週刊新潮はホントに落合が嫌いなんだなぁ

立ち読みですが、要旨は以下の通り。

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タイトル:川相中日2軍監督はスポーツ新聞で自分のクビを知った

①川相コーチと落合監督はここ1年口もきいていない。
②落合中日にとって二軍コーチは閑職。川相はそこに追いやられた。
③原因は野球観の違い。クールな落合と熱血な川相はソリが合わなかった。
④川相はファンサービスにも積極的。落合は違う。そんな川相の姿勢に落合はカチンと来た。
⑤結果、川相はフロントから「すでに読んだと思うが」とスポーツ紙を提示されクビを言われた。
⑥楽しそうなビールかけの陰で、オレ流の陰湿な支配が続いているのだ。

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①、⑤については知りえる立場にないので何ともいえない。世間一般に流布している“落合のイメージ”というフィルターを通せば「さもありなん」といえることは確か。

②については完全に事実誤認。落合中日における二軍監督ほど重要なポストはない。初代の佐藤道夫は落合ファンであれば知らぬもののいない“恩人”だし、二代目の辻発彦は現在ヘッドコーチを務めている。川相が二軍コーチになった当時は、「次のヘッドコーチか、他球団で監督させるための布石か」と思われていた。落合が一軍以上に二軍を重要視していることは類書(既刊の著書ほとんど)でもさんざん指摘している。新潮の言う「二軍監督=閑職」は完全な間違い。

③は正直噴飯モノ。落合が見かけによらず熱血なのは、少しでも野球を見ていれば誰でもわかりそうなこと。ただ、“燃える男”を演じるほど恥知らずではなくて、鉄拳を振るうほど人でなしじゃないだけだ。きっと新潮の記者は、まともに野球をみたことがないか、アンチ落合のスポーツ紙記者からの又聞きで記事を構成したのだろう。だいたい本当に関係が悪かったらビールかけで一緒にはしゃぐわけないじゃないか。

④は、二軍では川相就任前からやっていた。

⑥についてはお里が知れるというか……要するにお前コレが言いたいだけちゃうか、と。

川相昌弘コーチの退任については、事実関係が全くわからなかったのでここまで言及してきませんでしたが、このニュースを聞いてまず思いついたのは「川相、鉄拳振るっちゃったのか?」ということ。落合博満が中日監督に就任して以来、最大のタブーは「選手への鉄拳」だから、川相が突然退任するとしたらコレしかないのかなぁ……と思っていました。

が、夕刊フジの江尻記者の記事を読んで、勃然と思いついたのが、「ああ、球団主導での立浪禅譲のお膳立てってことか!」というモノ。落合後にリリーフする可能性のある存在を消して得するのは、落合本人じゃなくて立浪を擁立したい反落合派のフロントだものね――。

なんてことは、落合ファンの妄想であって、こういう妄想を書き連ねるのはどうだろうか? と思って今日まで自制してたんだけど、新潮があまりに下衆な記事(多分、裏づけ取材をほとんどしていない。実際、当人のコメントはゼロだもの!)を上梓してきやがったもんだから、ついカッとなって書き連ねました。もちろん反省してません。

2010年10月8日金曜日

*TV覚書:洋楽倶楽部80’s(レギュラー第二回)

テーマは「洋楽HITS! From Movies」。ゲストはシャーリー富岡。

放映されたPVは以下の6本。ニコニコ動画のソースで紹介。

【ニコニコ動画】299 高画質、高音質で見る洋楽名曲選 Ray Parker Jr. - Ghostbusters
・ネオンの使い方が80年代っぽい。ものすごく単純なフレーズの繰り返ししかない曲だからこそ印象に残るものなのか? 四半世紀経ってもビル・マーレイの雰囲気や容姿がほとんど変わっていないことに感心する。

【ニコニコ動画】083 高画質、高音質で見る洋楽名曲選 Kenny Loggins - Footloose
・サントラの出来の良さと映画の出来の悪さの乖離が凄かった。この曲なら「Never」「Almost Paradise」の方が好きだけど、前者は「お茶の間~」のコーナーと被り、後者は最後の曲と被るために不可だったのだろうか。なお、ビデオの内容は映画と同様に、悶絶するほど恥ずかしいモノ。

【ニコニコ動画】Arthur's Theme (Best That You Can Do) ニューヨーク・シティ・セレナーデ
・この曲は「CMで使われていたなぁ」という印象しかない。手前の中での位置づけは「第三の男」のテーマと同じ。

【ニコニコ動画】Psychedelic Furs - Pretty in Pink
・取り上げてくれればいいナ、とは思っていたものの、「フラッシュダンス」や「ビバリーヒルズコップ」などを抑えて取り上げられるとまでは思っていなかったので、これは嬉しい驚き。ジョン・ヒューズ作品について語りだしたら止まらなくなるので自重するけど、最高傑作が「恋しくて」であることだけはココで強調させていただきますですよ。もちろん異論は認めません!

【ニコニコ動画】Michael Fortunati - Give Me Up
・「お茶の間エイティーズ」。Ba-Be(ショートカットとクロマティのコンビ)がカバーしていたということで。ユーロビートの元祖にして、2010年現在の邦楽シーンを席巻し続けている曲。エイベックスの曲なんて、このコード進行ばっかりだものね。そりゃみんな同じように聞こえるわけだ。

【ニコニコ動画】[PV]Berlin - Take My Breath Away
・あまりにも有名な曲なので特にコメントなし。ただ、当時の中学校では冬にフライトジャケットを新調した奴がクラスに3~4人くらいはいました。

次回はHeavy Metal 80’s! こりゃ夜更かししてもみなきゃいかんね。