2014年6月25日水曜日

あえて書くけど、大口叩いていた奴らはどの面下げて帰ってくるんだ?

TVがないので観戦できたのは1試合目の前半だけだったけど、スコアやスタッツ、試合評などを見るに、どうも本来の戦い方ができていなかったorさせてもらえなかったことは確かなようで、その結果、グループリーグ敗退となったのは順当な結果ということかもね。強豪国のイタリアでさえ敗退するような大会において、120%どころか100%の実力すら発揮できなかった日本代表が勝てなかったのもむべなるかな。

で、1998年以来、曲がりなりにもW杯における日本代表を見続けてきた一素人が、今回大会の戦いぶりを見終わって思うことは、「発展途上の日本代表とて永遠に成長し続けるわけではない」「日本らしいサッカー=パスサッカーでは勝てない」ということ。

いまさらこんなことを告白するのは恥ずかしいんだけど、手前は今大会の日本代表の実力について、他のマスコミと同じように歴代最強と思っていました。実際――

・欧州トップリーグの主力が中心メンバーにいて、その他のメンバーも欧州リーグでレギュラーを張っていて、Jリーガーが数えるほどしかいないという陣容

・コンフェデ杯においてイタリアに4-3と善戦、親善試合でベルギーを破りオランダと引き分け、直近の親善試合で全勝という充実した結果

――から見れば、どこをどう見たって歴代最強というしかない。メンバーの過半数がJリーガーだったジーコジャパンや、親善試合で欧州中堅国にチンチンにされていたトルシエジャパンに比べれば明らかに強いチームでしょ? というのが手前の考えであり、恐らく日本国民の大多数もこのように考えていたはず。

で、歴代最強の日本代表が本来の実力を発揮できれば、グループリーグ突破も夢ではない。実際、南アフリカ大会で快挙を達成した岡田ジャパンよりも、個々の力が高く、かつ洗練されているチームなんだから。グループリーグ突破しなきゃウソ! というマスコミの報じ方についても、「今回ばかりは商売用のアオリではなく、中身の伴った応援っていえるんじゃないか」と思っていたものです。

が、蓋を開けてみれば1分2敗。試合内容も2点取られたら3点取るという“殴り合いジャパン”スタイルは影を潜め、3試合で2ゴールという有り様。精神面か身体面か技術面か、どういう理由かはわからないけど、ハッキリしていることは、W杯において本来の実力を発揮できず、決勝トーナメントに進めなかったという事実ですよ。

というわけで、何も出来なかった98年大会は置いておいて、自国開催の利があったとはいえ、グループリーグを突破したトルシエジャパン、完全アウェーでグループリーグを突破した岡田ジャパンと、歴代最強と謳われながら無様な戦いぶりで負けたジーコジャパン、ザックジャパンを見るに、「ジーコやザッケローニが志向したパスサッカー、コンパクトなサッカーでは結果を出せなかった。結局、戦術で選手を縛り、ガチガチに守って一発マグレを期待するのが日本の身の丈にあったサッカーなんじゃないか」と思わざるをえない。

ジーコジャパンが失敗した時点では、「所詮ジーコは監督として素人だった」「ポゼッションサッカーをするにはメンバーの実力が足りなかった」という言い訳ができた。でも、ザックジャパンは、「欧州トップリーグで結果を残した監督が、世界レベルの選手たちを指導したチーム」だからね。それでこの結果ということは、結局、日本代表は“パスでつないでパンパンパーン”(金子達仁©。それにしても頭の悪い表現だなぁ)みたいなサッカーで世界を勝ち抜くには実力が足りないってことなんでしょう。

ってことを書くと、「いや、日本代表はまだまだ発展途上。もっと強くなるはずだし、“日本らしいサッカー”を追求する姿勢は間違っていない」なんて反論が来そうだけど、これ以上日本代表が強くなるには、日本のスポーツエリートを根こそぎ持っていく野球から、より多くの才能を引っ張ってくるしかないと思うのですよ。実際、本田選手や香川選手、長友選手のような<世界レベルの選手>では勝てなかったわけでしょ? これ以上強くなるためには、エトーとかファンペルシー、イブラヒモビッチみたいな<世界屈指の選手>が必要だと思うのですよ。実際、こういった<世界屈指の選手>と比べて、日本代表の選手は貧弱な体躯とスタミナしか持ち合わせていないわけだから。これはもう技術以前の問題。

言葉を換えれば、田中将大投手やダルビッシュ有投手みたいな才能が幼少時からサッカーをやっていれば、多分、<世界屈指の選手>になっていたであろうことは容易に予想がつくし、このような感じで国内のスポーツエリートが根こそぎサッカーをやっていれば、今頃は人口で同じくらいのドイツ程度の強豪国にはなっていたはず。でもまぁ、これは夢物語――このような想像が現実のモノとなるためには、まずは甲子園のNHK中継が廃止される一方、高校サッカーが全試合NHK中継されることが大前提――だからね。

となると、日本代表選手の体力、体格がDeNAの2軍選手にすら遥かに劣る状況はしばらく続くわけで、ようするに本田選手や香川選手のような<世界レベルの選手>クラス以上の選手が出てくる可能性は低そうだということ(もちろん突然変異でマラドーナクラスの選手が出てくるかも知れないけど)。となれば日本代表の個々の選手のレベルがこれ以上高くなる可能性は限りなく低いと見積もれるわけで、つまるところ右肩上がりに強くなってきた日本代表の成長曲線が踊り場に差し掛かりつつあるってこと。

ということを前提として考えるなら、歴代最強チームで玉砕してしまったパスサッカー、ポゼッションサッカーを追求――個々の選手の実力に依存するスタイルを追求――するのは無駄な努力といえるわけで、今大会を契機に「日本らしいサッカー=超守備的カウンターサッカー」と、そのドクトリンを転換してもいいんじゃないだろうかね? 実際、W杯のプレッシャーに負けるようなハートの弱い選手を率いるには、余計なことを一切考えさせず、システマチックにサッカーさせた方がいいとも思うのだけどね。


ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年5月23日金曜日

「レリゴー」が耳から離れない

というわけで遅ればせながら『アナと雪の女王』を見に行ったわけですが……一部には随分評判が悪いようだけど、これ、掛け値抜きの傑作じゃねぇか!

実のところ「レリゴー」とか「ありの~ままで~」とかいう歌についていえば、2カ月前から各所で耳にしていて、「あぁ、これが“アナ雪”ってやつなのね」と認識していたんですけどね。それでもまぁ、00年代においてピクサーの足元にも及ばない駄作ばかりを作り続けていたディズニーの映画ということで、映画館に行くどころかDVDが100円レンタルになっても観る気なんて一切なかったんですよ。

が、この2カ月余。たまたま入った日高屋とか本屋とかで流れてきたり、果ては病院の待合で親子連れが「レリゴー♪ ってか?」なんて会話をしているのを耳にするにつけ、「TVを見ず、世間の情報はYahoo! ニュースでしか得ていない手前にして、これだけ耳にしているということは、世間一般では大変なことになっているのでは?」と思い、一週間前にYouTubeとWikiで調べてみたんですよ。ええ。

そしたら「レリゴー」を歌っているのが、あのイディナ・メンゼル――『レント』のモーリーンで気になり、『魔法にかけられて』のナンシーでファンになり、後追いで『ウィケッド』のサントラを買って圧倒されて以来、熱心なファンを続けているミュージカル女優――で、主役の吹き替えがクリスティン・ベル――『ヴェロニカ・マーズ』、『ゴシップガール』のナレーションと、『バーレスク』でのカワイイ歌声(『Diamond is a Girls' Best Friends』のカバー。なおサントラには未収録。CDを買ってこれほどがっかりした経験は他にない)に魅了されて以来、熱心なファンを続けているテレビ出身女優――であると知ってしまい、「これは映画館で観ねばならぬ!」と決心。字幕版を掛けている最寄りの映画館を探し、時間をつくって、ついさっきようやく見てきたというわけです。

割引なしの1800円という価格は、貧乏な自営業である手前にとって大枚も大枚ですが、見終わっての感想はといえば、「無理して映画館で観て良かった」です。ミュージカル映画やCGバリバリのアクション映画&アニメ映画ってのは、デカい銀幕&最高の音響設備の下、フルHDより微細な映像と、ほとんど爆音に近いサウンドを一緒に味わってこそ価値のある映画である――というのが手前の持論なんですが、“アナ雪”は「CGバリバリのアニメミュージカル映画」ですからね。これ多分、自宅でDVDを見たとしたら、劇場で見た感動の1/100も味わえないと思いますですよ。

という感じで美点をあげつらっていったらキリがないので割愛。“アナ雪”サイコー! 的な感想はそこら中にあると思うので、それを参考にしてください。

ただ一ついいたいのは、「この映画は歌はいいけどストーリはダメだ。だから駄作だ」的な感想について。確かにおハナシは弱い。これは事実。でもね、そういう人に面と向かって言いたいのは、「貴方、ミュージカルに何を求めているの?」と。

……これねぇ、ストーリーのテコ入れは死ぬほど簡単なの。具体的にいえば、エルサを『Wicked』“西の悪い魔女”にすりゃいいの。で、「レリゴー」も『Defying Gravity』と同じように「もぉ~我慢するのはやめ。今度は戦争だ(エイリアン2©)」という位置づけにして中盤のクライマックスにもってくるようにするわけ。エルサと王国――映画にいた“越後屋”は削って“悪い大臣”を追加。当然、コイツが黒幕――が鋭く対立するなか、アナは両者の説得を試みるけど失敗。結局、悪の女王vs王国軍の決戦ってことになるのよ。矢弾と魔法が飛び交う決斗の最中、映画の終盤と同じようにアナがアレして両者は硬直。時間が止まったように見えるなかで、エルサがアナにアレして……

……みたいな“定番プロット”にしておけば、少なくともストーリーのアラが目立つってことにはならなかったはず。

それでですね、↑みたいなことは当然、ディズニーだって百も承知なわけですよ。そもそも脚本だけで10人近くクレジットされているんだから。少なくとも手前が数分で思いついたようなハナシよりも秀逸なアイディアが死ぬほど提示され、検討されてきたであろうことは間違いない! と断言できます。

それでもなお、お笑い芸人風情に指摘されるような大きな欠点を残したのかといえば、これはもう「ミュージカルとしての魅力の最大化を狙った」ためであって、定番ストーリーで得られるカタルシス以上に、歌と映像のコンビネーションで得られるカタルシスを重視した結果ってこと。つまるところ、「レリゴー」という“必殺技”の強みを最大限に活かした作りにしたってことであって、“アナ雪”=「レリゴー」のPVってことですよ。

で、普通なら「たかが劇中歌のPVで1800円も取るのか? ふざくんな!」ってことになるんだろうけど、「レリゴー」は明らかにただの劇中歌じゃないですからね。ミュージカルの曲としては『Sound of Music』以来の傑作だもの。このくらいの名曲――5~10年後には間違いなく英語or音楽の教科書に収録されるでしょう――だからこそ、敢えて“ビッグワンガム方式”(添え物であるオマケをメインにした商品構成)を採ったと。であればこそ、「レリゴー」を歌うのが“西の悪い魔女”では都合が悪いし、剣と魔法の戦闘的な血沸き肉踊るシーンがあると「レリゴー」の印象が薄くなるし……的な観点から、敢えてストーリーの穴には目を瞑ったんでしょう。で、他の劇中歌が形を変えて2回流れるなか、劇中で流す「レリゴー」も敢えて1回だけにして、ラストで下手くそな「レリゴー」を流すのも、「観客に物足りない思いをさせて、もう一回劇場に足を運んでもらう」という戦略の一環に間違いない(ちょっと陰謀論入ってますが、あながちウソとも思えない)。

だからねぇ、「“アナ雪”はストーリがクソ」とか「女子供やスイーツ向けのポルノだろ」とか「流行りモノに良いモノなし」みたいな偏見から映画館で観ずにいるのであれば、是非、↑のような偏見を取り除いて観に行ってもらいたいですね。いやホント、YouTubeやiTunesで観るのと、劇場で観るのとでは得られる感動or動かされる感情の質&量が全っ然違うから。

というわけでピーター・ジャクソン版『キングコング』(これも映画館で観ないと意味のない作品)以来、9年振りに映画をオススメするエントリでした。

追記:ここまで書いたついでで書くと、今日まで観た2014年上映作品のベスト1は『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。近年のサスペンスアクション映画のなかでも屈指の作品だった。あと上映中、「いかにもロバート・レッドフォードがやりそうな役をロバート・レッドフォードに似た役者さんが演じているなぁ」と思いながら見てたんだけど、最後のクレジットで「As Alexander Pierce/Robert Redford」と出たときには、大げさでなく椅子からずり落ちそうになった。



2014年4月30日水曜日

「敵の本質」と「本当の脅威」を知るために読むべき本

何のハナシかといえば、兵頭二十八師が4月8日に上梓した文庫『北京が太平洋の覇権を握れない理由』(草思社文庫)のことですよ。この本については新刊発刊の際に取り上げたので、目次とおおまかな内容紹介については、2年前のエントリを参照してください。尖閣諸島を巡って日中関係がきな臭くなりっぱなしの今日において、「日米中の軍事力及び外交関係の見積もり方」とか「戦争が起きるとすればどうなるのか?」を予測する本としては、本邦一級品のモノであることは間違いありません。

なぜそんなことを確信を持って言えるのか? と言えば、これはもう敵である中国(=シナ)の本質について、誰よりも、どの本よりも正確かつ簡潔に定義づけているからですよ。

ではその本質とは何か? 文庫本より引用しましょう。

「『対等の他者』などを認めていたら権力は決して生き残れない――というのは、シナの独特の地理がはぐくんできた儒教圏の歴史哲学である」(35頁)

この60字ちょっとの文章。これがシナの本質ですよ。つまりシナにおいては人と人、国と国は決して対等ではなく、必ず序列が存在するものであって、そこに生きとし生けるものは才知の限りを尽くして「他人、他国よりも上の序列を目指す」ものである――とってことです。

で、このシナの本質の解題は以下のとおり。

「シナの地理は、『主権の割拠』の何世代もの固定をゆるさない。これが西欧とシナの政治気風、法哲学観を、まるっきり異なるものに決定した」
「秦の始皇帝以降のことだが、ベトナム以北、そして高粱や豆や芋を栽培できる満州以南のシナ本土では、中小国の『割拠』が、長続きせぬ」
「シナは、単一権力が全域を統べなければ決して安定できないような地理条件が備わった空間らしい――と、その理由は未解明ながらに仮定をしておけば、春秋時代から国共内戦に至る既往の『王朝交替』の説明に、とりあえず矛盾がない」
「主権の割拠が不可能だということは、二つの正義が並び立つことはふつうではない、という世界観を住民のあいだに育てる。強い者がいずれ全域の『正義』を収攬する。ならば、いま、他人の権利を尊重しても、むなしいことだ。将来もしその他者が強くなれば、こっちがすべてを奪われる立場に落ちるだけなのだから」(35頁)

「広い地域が次々と単一の専制君主によって支配されるという歴史を反復してきたことで、『支配者が変われば、どうせルールも変わってしまう』『権力者の恣意的なルールの押し付けに対抗して弱者が自衛するには、密かに巧妙に『脱ルール』を図るのみ』『どうせ永遠のルールなどないから、尊重しなくてよい』といった精神風土もできあがったのだ」(36頁)

「地理はなかなか『流転』するものではないので、大陸部にできる将来のシナ政府はやはり『民主主義』を拒否するだろうと簡単に予言しておくことができる」
「国防コストが高い地理のため、シナ政権にとって『上からの人民統制』は絶対に必要であり、それでも治安コストが高いので、『法治』よりも『人治』が有効になる。すると人民は政府を信用できず、政府もまた人民を信用できない」(37頁)

以上、「Ⅰ なぜ太平洋の支配権が二強国の争点となるか」の「地理が『人性』と『政治風土』を決定する」より、ちょっと長めの引用です。

この「地理が政治を決定する」というハナシは、権力の定義と同じく、軍師がデビュー当時から唱えている説で、実のところ既刊で幾度も言及していたりするものです。が、↑のようにここまで簡潔かつ明快に書いているのは、この本しかありません。

この『対等の他者』が存在しないという儒教圏特有の哲学は、『対等の他者』を認め合うことを前提とした近代啓蒙主義(=キリスト教)が骨の髄まで染み渡っている西欧諸国(=先進国)の人々や、聖徳太子以来、この哲学を拒否し続けた結果、近代啓蒙主義をすんなり受け入れた現代日本人にとっては、なかなか理解できないことなんでしょう。

そんな人に対して、この哲学の要諦を手前なりに説明するなら――

ホラ、アメドラってさ義理の兄貴とか先輩に対しても、よく「Hey bro!」って呼びかけるじゃん。あれって“年は離れてても対等の同士”ってな感じのニュアンスでしょ。『ヘンリー五世』の『聖クリスピンの祭日の演説』からタイトルを引用した大傑作戦史ドラマ『Band of Brothers』だって、対等の同士、同胞って意味でしょ。これすなわち「対等の他者」ってやつ。

でね、『仁義なき戦い』で梅宮辰夫が菅原文太に言う「よう兄弟!」ってのはさ、もう完全に「辰夫が上で文太が下」ってニュアンスじゃん。そうこれ、これこそが儒教圏特有の「対等の他者が存在せず、必ず序列をつける」ってやつなのよ。任侠の世界なんて儒教道徳にどっぷり浸かってるからね。もっといえば三国志の劉備、関羽、張飛だって、初手から長兄、次兄、末弟って序列をつけていて、『聖クリスピンの祭日の演説』でいう「ここに居る我々は兄弟の一団だ。今日私とともに血を流す者は、私の兄弟だからだ」っていう“同士感”ゼロじゃん。こういうふうにね、ともに血を流す同胞間でも序列を付けざるをえないのが、儒教圏特有の哲学であり、シナの政治風土であり本質なのよ

――って感じになるでしょうか。

ともあれ、このように敵の本質、脅威の本質を的確に指摘し、抉り出した上で、その対処法をあますところなく書き尽くしている本が、税込みでも1000円以下で買えるンですから、ここれはもう買わいでか! ってものでしょう。

ちなみに追記(24ページ分)では、北朝鮮の張成沢一派粛清の背景から、直近の米中関係を巡る考察まで取り上げているので、新刊を3回位通読してしまったダイ・ハードな兵頭ファンにとってもお買い得感のある本だったりします。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

追記:シナで割拠が固定化しない理由について、手前は「チベット、モンゴル方面に海がない」ことが一番大きな要因じゃないかと考えています。旧大陸における地中海のような内海があり、大陸にくまなく海岸線が存在すれば、通商により小国でも十分な武装ができ、割拠も固定化できるのではないか? とぼんやり考えてはみるものの……ただの思いつきで根拠薄弱だからなぁ。まぁ、“パラドゲー脳”のおっさんの繰り言ですよ。

2014年3月1日土曜日

進歩し続けるのはPCだけではなかった

そりゃもちろん、家電だって進歩するものだってのはわかっているんですよ。冷蔵庫だってエアコンだって10年前のものと比べれば、いい感じに冷えてかつ省エネだってのは、5年前の引っ越しで家電を新調したときに十分実感してますからね。でもねぇ、冷蔵庫もエアコンも全自動洗濯機も、性能は上がっても価格はだいたい据え置きっぽいでしょ。確かに安くもなってるだろうし、ハイアールのモノなんて同じ性能でバカ安だけどさ。そうはいっても5000円で買えるものじゃないでしょうよ。つまるところPCみたいに、10年前に数十万円した廃スペック品(=昨今のスマホと同等程度の性能のモノ)でも、ジャンク品を集めて組めば2000円でお釣りが来るってほどには進歩していないわけですよ。

が、この認識。ついさっき大いに間違っていると実感しました。

というのも昨日、ブラウンの電動歯ブラシのカートリッジを買いに、近所のくすりの福太郎に行ってきたんですよ。で、歯ブラシコーナーを覗いてみたら――

・ブラウンの替え歯ブラシ(カートリッジ2本入り)=1980円
・ブラウンの電動歯ブラシ新品(カートリッジ1本付属)=1880円

――ってなっていたわけですよ。

で、14~5年前から使い続けている電動歯ブラシ『Oral B 3Dexcel Type4736』は未だ健在で、買い換える必要性は全く感じていなかった――時々取り落としたりして全体に傷だらけ&カートリッジ接続部に水垢が歯石みたいに膠着しているけど、使用上は全然無問題――わけですが、「カートリッジ1本の代わりに一番安い新品を体験使用できると思えば、悪くない買い物かも」と思い、つい衝動買いしてしまったんですよ。

実のところ2万円以上かけて買った『Oral B 3Dexcel Type4736』は、使い始めて20秒後に「もう二度と普通の歯ブラシで磨くものか!」と決心させたほど、素晴らしい使用体験をもたらした名機であって、バッテリーがダメになっても交換して使い続けようと考えていたほど思い入れのあったモノだったんですよ。

なものだから、新品については「所詮、2000円でお釣りが来る品物。長年連れ添ったハイエンドモデルには性能その他の点でかなうまい。ま、それでも靴磨きとかPCの掃除専用機としては重宝するだろうから、損はすまい」なんて思っていて、その性能には全然期待していなかったわけです。ええ。

が、さきほど16時間の充電を終えフル稼働した新品の『Oral B Type3757』(=製品一覧を見る限りでは一番安いモデル)を使ってみたら、現行機よりも回転振動が断然に高速かつデリケートで、ちょっと当てるだけで歯の隅々まで確実に汚れを落としているのが実感できてしまい、「あぁ~、これで現行機はお役御免ってことか……。これからは靴磨きとかPCの掃除に役立ってくれい!」と、心で涙を流しながら育成落ちを通告した次第。

それにしても今どき2000円しないで電動歯ブラシ、しかも10数年前の最上位機種よりも断然性能の良いモノを買えるなんてねぇ。この分だと、シェーバーも物凄い進歩しているのかね?

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月15日土曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:S5終盤~S6の超展開は許せない

ここまでGGについて、「ハナシがわかりやすい」とか「美しいシーンがてんこ盛り」とか「ダン×ブレアのカップリングが素晴らしい」とか、べた褒めしまくってきたんだけども、実のところ不満点がないわけじゃない。てか、猛烈に不満に思うところが一点だけあるのね。というのは、「S5終盤からS6通しての超展開」のこと。

えっ? ハナシの杜撰さとかご都合主義はGGの華って言ってたじゃんって!?

いえね、何事にも限度ってのがあるんですよ。妊娠させたままだと別れさすのが面倒くさいから、ここは一つ交通事故で流産させちゃえ! とか、何度も何度もくっついたり離れたりする理由のストックが切れちゃったから、ここは一つ神頼みってことにしちゃえ! とかいうご都合主義に基づく超展開は許してるんだ。だって、こういうのがないとダン×ブレアのカップリングができないからね。このお陰で良いシーンも生まれたことだし。

でも、S5終盤で実はバートが生きてました……って展開は、さすがにない。だって、↑のは単なるご都合主義だけど、バートの物故については、チャックがS2後半通して悲しみ抜いて人格破綻寸前までいったわけでしょ。ドラマとはいえ、人様の死でここまでハナシを動かしているんだから、これを事実上なかったことにするような後出しジャンケンはねぇ……。しかも、バートが生きていたからって劇的にハナシが進むわけでもないしね。

まぁ、バートが復活したことで、チャックが全てを失ったり、リリーとルーファスの婚姻が無効になったりとね、それなりに事態は進んださ。でも、これって別にバートが生き返らなくたってどうにでもなるハナシでしょ。例えばチャックについていえば、自身の致命的なスキャンダル発覚か何か――パッと思いつくのはブレアの持参金を負担したことが、役員会で問題視される――で社長を解任されるとかね。それにリリーとルーファスなんて、バートとは一切関係なく結婚生活は破綻寸前だったわけだし。

で、S6は、視聴率悪化を受けて10エピソードしかない短縮版だったわけだけど、ハナシの進み方はこれまで以上に急加速。結果、急展開やご都合主義、説明不足なシーンが頻出するんだけど、そういった不都合を含めた悪いことは全てバートに押し付けるのね。もう「何もかも悪いことは全てバートのせい」って感じで、ハナシが進むわけなのよ。

こっぴどく振られてUESへの復讐鬼と化したはずのダンも、ブレアとの失恋に整理をつけないまま、ずるずるとセリーナとくっつくし。くっついてからは一応波乱もあるし、その原因が田舎者と都会人との根本的な立場・認識の違いだったりするのはいいんだけど、その辺の事情についてはあまりにも説明不足だし、視聴者が納得出来ないままどんどんハナシが進んでいくのね。ダン×ブレアのカップル成立までに丸々1シーズンかけたとは思えないほど乱暴なんだ。

もちろん、「10エピソードで綺麗に風呂敷を畳まにゃならんのだから、説明不足や超展開には目を瞑ってくれ」ってことかも知れないけど、それにしたって納得出来ないものは納得できないのよ。それにね、バート復活は置いておくとしても、S5最終回の締め方は結構好きだったのよ。

・セリーナは、過去にこだわり自分を変えられなかった結果、全てを失い、S1開始前の荒んだ状態に戻る。
・ブレアは、会社を継いで“有力者”という目標を達成したうえで、チャックを追いかける。
・ダンは、UESの人々にこっ酷く裏切られ、これに復讐すべく暴露本を執筆する。
・ネイトは、マスコミ人士としてGGの正体を明かすべく決意を新たにする。
・チャックは、その臆病な気質故に愛に溺れ、経営の鬼に徹しきれず、全てを失う。

って感じで、ハッピーエンドでは全然ないんだけど、5シーズン、100エピソードかけて好き放題歩んできた人生の決算としての“ほろ苦い結末”というのがね、実に妥当に思えてね。と考えていたら、「あるべきS5終盤とS6」というのを思いついてしまって……。

……って、いい加減、思いついたことをそのまま書くのを止めないと、2月一杯GGのどうでもいいハナシを書くことになりそうだから、もっと言いたいことはあるんだけど、ひとまずここで強引に打ち止め。散々ネタバレかましておいてこんなことを言うのも何だけど、もし、これからGGを見るのであれば、「せめて最初の3話まで我慢して見て」ってこと。

正直、パイロットの出来は微妙――登場人物の紹介に終始している感じで、ハナシのスジ自体はそこまで面白いわけじゃない。予算がないので全体的に安っぽいし、ダンの丸刈りもキモい――なので、「パイロットはS1E2との連続モノで、2つ合わせて“第1話”」と思った方が良いかも。で、次のS1E3にて黄金パターンが炸裂するので、これを見て面白いと思わなかったら、以降も面白いと感じられないはず。逆に言えば、パイロットだけで見限るには勿体ないと思いますですよ。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月14日金曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:交際まで1シーズン超かける気概

ダン×ブレアのどのシーンがいいとか、どこにグッとくるとかいうハナシは、書いても詮のないことなので割愛しますですよ。ただ、作品のテーマと造形されたキャラクターの相性から、絶対に相容れないはずの二人をくっつけるため、製作者サイドが要した努力については、一言以上いいたい。てか、べた褒めしたい。

やっぱりねぇ、いの一番に褒めたいのは、二人の関係を恋人同士にするために、じっくりと時間をかけたこと。これが素晴らしい。ダン×ブレアが完全に恋人になるまでに要した時間は、話数にして――S4E11のドライブからS5E17でブレアがダンと呼んでキスするまで――実に29エピソード。事実上の布石であるS3E17から数えれば、丸々2シーズンくらいかけてくっつけてるのよ。

海外ドラマでカップルがくっつく場合って、多くの場合は、ケーブルTV製作の四半期13エピソードのドラマなら3~4エピソード、ネットワーク製作の半年24エピソードのドラマでも6~7エピソードくらい掛かるものなのね。もちろん例外はあるよ。でも21世紀以降、展開の早いドラマがトレンドになっていることを考えれば、あるカップルを成立させるために丸々1シーズンかけるケースってのはほとんどないはず。

翻ってダン×ブレアは、S4E11で初めて長時間二人きり――コネチカットへのドライブ旅行。劇中では全く触れられていないけれど、片道2時間近くのドライブ中、絶対に映画や美術についてのハナシをしなかったわけがない。で、このお喋りこそが二人が急接近する一番の理由であるはず、と脳内補完――にして、そこから6エピソードかけて初キス。その後は18エピソードかけて、ダンが片思いで身を焦がすところと、ブレアが少しづつダンを信頼していく過程を見せて、そこからさらに5エピソードかけてカップルを成立させるという念の入れようだもの。

しかも、シーズン3まで無頓着だったダンへの呼びかけ方も、シーズン4からは「ハンフリー」に統一。そうやって30エピソード近くに渡って「ハンフリー」と呼ばせた上で、S5E17で「ダン」と言いながらキスさせる心憎さ! 時間をかければいいってものじゃないけど、少なくとも絶対に相容れないはずの二人がなぜ恋人同士になったのか? について、その過程を丁寧に見せているところは他のドラマにはない、フレッシュかつ優れている点ですよ。

もっとも、その過程でかなり無理矢理な超展開があったりするんだけどさ。でもね、結果として成立したカップルが織りなす、甘ったるくてカワイイ名シーンの数々を目にしてしまえば、超展開もご都合主義もどうだっていいじゃん! と全面降伏するしかないもの。

実際、ダン×ブレアのいちゃつきシーンは、どれをとっても珠玉の出来なので、オススメのシーンを挙げろと言われたら、「そりゃ全部ッス」としか答えようがない。でもまぁ、強いて一つだけ挙げるならコレかなぁ。

The Movie Date

なんつーか文系インドア派の男の子ならば、死ぬまでに一度は経験してみたい甘酸っぱいシチュエーションですよ。……って『ローズマリーの赤ちゃん』についてしっかり突っ込みが入れられるほど映画の知識があって、かつ美人で金持ちで意味のある会話を成立させられる女なんて、空想の世界にしかいないわね。
(つづく)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月13日木曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:ダン×ブレアが作られた製作上の都合

正直、GG開始当初からダン×ブレアの組み合わせが考えられていたとは思えない。S1E4でダン×ブレアのイイ感じのシーンがあるけど、あれはあくまでもメインキャスト同士の絡みを深めるための一手であって、あれから恋愛関係にまで発展させようとまでは考えてなかったはずなのね。実際、S1~S2まではダン×ブレアの関係は基本険悪――S2E8で恋愛相談に乗るけど――だし、S3でもE2でキツく反撃しているし。

でも、S3のドロータの結婚式で布石を打ち、S4後半からダン×ブレアのカップル成立に向けてハナシが作られたことには、以下のような製作上の都合があったんじゃないかと。

①できるだけドラマを引き延ばしたいという事情=物語としてはS2で語りつくし、S3で一通りメインキャスト同士のカップルを作ってしまった以上、ハナシを引き伸ばすにはチャック×セリーナかダン×ブレアをやるしかなかった。

②ブレイク・ライブリーの力量不足という事情=演技スキルの足りないブレイク・ライブリーに、高度な演技が求められるシーンを任せられないため、代わりにTV俳優としては一定水準の演技スキルを持つレイトン・ミースターのポジションが高まっていった。

このうち①については、通算100回を超える長寿ドラマならばどんな番組でもあり得ること。敢えて言うなら、なぜ、チャック×セリーナがなかったかといえば、「チャックがリリーの養子になった」から。この義兄弟問題でダン×セリーナが破局した以上、チャックとセリーナをくっつけるという選択肢はあり得なかったはず。

問題は②。実際ねぇ、ブレイク・ライブリーの演技力ってエビせんべいくらいに薄っぺらいからなぁ。いや、演技が下手っていうと言い過ぎかも知れない。例えばS1E7の終盤で恥じらいを見せるところとか、S2E1でダンとキスしたあとに嬉しがる表情なんかは素晴らしいからね。でも、芸達者かといえば決してそんなことはなくて、演技スキルについて言えば、TV俳優としても物足りないって思うのよ。

具体的に言うとね、S3最終回でネイトに「一度時間を置きたい」って告白する場面で、I love youっていうけど、このセリフの言い方のなげやりさと来たらねぇ……。確かにアノ場面は、心のこもってないセリフを言うのが正しいんだけど、それでもあそこまで明確に捨鉢な言い方をしちゃダメじゃね? と思うわけよ。実際ねぇ、同じ場面を吹き替えで見ると、口では愛していると言い、実際、ネイトを捨てるのを惜しみながらも、心はダンに惹かれていて……というセンシティブな情感が良く出ていて、「製作者が意図した演技って、実は吹き替えの方だったのかもなぁ」と思うわけよ。

じゃぁレイトン・ミースターの演技が上手いのかっていうと、決してそんなことはないのよ。『ヴェロニカ・マーズ』(ちょっと陰のある女子高生)と『ドクター・ハウス』(ストーカー化した女子高生)で演じているのを見る限り、演じ分けは全然出来てないもの。今にして思えば、「あ、これ二人ともブレアじゃん」と。役柄により全く違う人格に見せるハリウッド俳優に比べれば、どう見たって演技スキルは足りない。それでも状況に応じて必要な表情や情感を込めたセリフを言うことはできているし、TV俳優としては十分な演技スキルはあるように見えるのね。

つまるところレイトン・ミースターはブレイク・ライブリーと比べて相対的に芸達者であって、それ故に、ドラマでのポジションが向上していった――ってこと。演技の巧拙や華の有無でゲストから準レギュラー、レギュラーへと昇格するってのは、海外ドラマでは当たり前にあることだし。

といった事情からダン×ブレアのカップルが作られたのだ! と、勝手に邪推しているわけだけど、そういった製作上の都合はどうあれ、結果的に出来上がったハナシを見てみれば、GG中随一どころか、手前的にはこれまでに見た古今東西の映像作品のなかでも屈指に甘ったるく、かつ、これ以上なく念入りにカップルになる過程を描いていて、ベタなラブコメに目がないおっさんには辛抱たまらん出来になっているんですよ。
(つづく)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。