2013年3月29日金曜日

みんなの意見は案外正しいか? セリーグ順位予想

日本プロ野球開幕ということで、セリーグの順位予想をしてみようと思います。

といっても、地デジ化以降、TVは数えるほどしか見ておらず、当然、野球中継もほとんど見ていません。また、キャンプにも行ってないし、スポーツ紙も熱心に読んでいるわけでもないので、「今年の補強から鑑みるに~」とか「彼の加齢、肉体的ポテンシャルでは~」みたいな偉そうな御託を並べることもできません。

ではどうやって順位を予想するのか?

これはもう“集合知”先生にお出ましいただくしかない!

というわけで、まずは日刊スポーツの解説陣9人による予想を単純加算してみました。

*ルールは、予想順位のうち「1位=6点」「2位=5点」「3位=4点」「4位=3点」「5位=2点」「6位=1点」の点数を割り振り、これを単純加算するだけです。

日刊スポーツ解説陣の予想

・権藤:巨、ヤ、中、De、広、阪
・山田:巨、阪、中、ヤ、広、De
・梨田:巨、阪、中、De、ヤ、広
・篠塚:巨、ヤ、広、中、阪、De
・白井:巨、ヤ、中、De、阪、広
・工藤:巨、広、阪、ヤ、中、De
・清原:巨、中、阪、ヤ、広、De
・佐々木:巨、阪、広、ヤ、中、De
・緒方:巨、阪、ヤ、中、広、De

上記予想の単純加算

・巨人=54点
・東京=34点
・阪神=31点
・中日=30点
・広島=23点
・横浜=15点

見事なまでに予想陣の予想とは一致しない結果が出ました。といってもサンプルが9人と少ないし、野球解説者としてのバイアスがかなり掛かっているから、あんまり意味はないのでしょう。

そこで今度は2chプロ野球版のセ・リーグ予想順位スレッドで、「1~100レスのうち6球団の順位全てを予想した54レス」を対象に単純加算してみました。結果は次の通りです。

・巨人:296点
・中日:209点
・阪神:194点
・東京:170点
・横浜:144点
・広島:122点

個人的には日刊スポーツ解説陣の単純加算の方が妥当と思うのですが、“集合知”先生に言わせれば、サンプルの多い2chプロ野球版住人の予想の方が正しいってことになるのでしょう。参考までに、2つの予想を単純加算しても、(サンプルが多いので当然といえば当然のことながら)2chプロ野球版の予想の単純加算と変わりません。

こうして見ると、「巨人優勝」「Aクラスはほぼいつものメンバー」で固まっている感じなので、結局のところ今シーズンの焦点は「横浜の最下位脱出がなるか否か」ってことなんでしょう。高田繁GM、中畑清監督とも「CSに出られなければ辞める」と公言しているけど、最下位脱出が成れば、続投でいいんじゃないのかなぁ。

・追記:4月2日までblogの更新は休止します。



いつまでもいつまでも、走れ走れボルボのトラック

何でいすゞじゃないのかって? そりゃSteamのインディースプリングセールで買った『Euro Truck Simulator 2』で乗り回しているのがボルボだからですよ! セール開始直後の3月23日に即開発したにも関わらず、いろいろあって手が出せなかったものの、ついさっきようやく手隙になったところで箱コンを繋げて遊んでみたら……もう、楽しくて楽しくて仕方がない。

どれくらい楽しくて没入感があるかっていうと、中途半端なカントリーを流しながら走っていたら、ついつい鼻歌を口ずさんでしまうくらい。

Carrie Underwood - All-American Girl

ただただ交通法規に従ってトラックを流すことが、ここまで楽しいとは思わなかった。レースゲームは好きじゃないし、20年来のペーパードライバーだから現実世界で車を乗り回すことにもチャレンジできないけど、やっぱり車の運転にはちょっと興味がある――という、手前のハートをピンポイントで貫くゲームだね、これ。

内輪差を考えずに急カーブして、通りすぎようとしている車をぶっ壊しても、速度制限や赤信号をぶっちぎっても、渋滞の列に最高速度で突っ込んで玉突き事故を起こしても、所持金から罰金が差っ引かれるだけでOK! な世界だからこそ、手前のような「クラッチ? それってイタリアの新しいデザート?」というウルトラスーパー車音痴でも、超危険なトラックを気軽に運転できるんだもの。その意味ではまさに「言葉通りのシミュレーター」であって、『グランツーリスモ』とか『DiRT』みたいなのを求める人には全然向かないだろうけど。

てか、1時間半ほどプレイしてみてしみじみ思ったのは、「トラックの運転手は凄い。マジ尊敬する」ということ。シャブなしでこんなことを16時間も続けられるなんて、もう超人としかいいようがないわ。

2013年3月28日木曜日

思わずコレを思い出した

ヨルダン、レーザー照射に「そんな物は無かった」

昨日(一昨日?)、サッカーの試合があったことにすら気づかなかったんだけど、2chでこの記事を読んで思い出したのが、新日ファンにはお馴染みであるところアノ曲のPVで、藤波辰爾の額から出るチャクラのこと。

てか、日本代表の正GKって川島になってるんだね。川口、楢崎ってのはもう使えないのかね? てか、知っている選手が香川、本田、長友しかいなかったりするのが……。やっぱりTVを見なくなると、最近の話題についていけなくなるね。

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19:風吹けば名無し:2013/03/28(木) 04:44:31.34 ID:hpr7h9hV
川島の肌が偶然緑色に光っただけ

23:風吹けば名無し:2013/03/28(木) 04:45:58.70 ID:t0aEnNch
なんだ気のせいか
疑って悪かったわ

57:風吹けば名無し:2013/03/28(木) 04:56:41.01 ID:wiF7JlWw
敢えて無理やり話合わせるなら

リアルタイムの映像に何者かが素晴らしい技術で
緑の光を加えたんじゃないかな

64:風吹けば名無し:2013/03/28(木) 04:59:15.45 ID:FNhuRBMD
>>57
つぼみの処女を守る日本の映像技術がまーた役立ってしまったのか

2013年3月27日水曜日

残念でもないし当然。別に男らしくもない

スクウェア・エニックスの和田洋一氏が代表取締役社長を退任

FFとDQという鉄板ブランドを持ちながら100億の損失を出すなんて、ねぇ。映画を作るか、テーマパークを作るかしないと、ここまで派手にコケることなんて中々できないんじゃないかなぁ。

何の工夫もなく両ブランドの新作(クオリティは並程度でよろしい。なんならドット絵でもOKだ)を順当に出しさえすれば、この不況下でも収支はトントン。あとは、ロマンシング・サガを筆頭に過去のブランドの続編を何の工夫もなく出せば黒字。まかり間違って新作が当たれば大儲け。

と、部外者のゲームファンから見れば、恐ろしいほどイージーモードな経営に見えるんだけど、コイツがやったことは――

・FF、DQのクオリティを徹底的に下げ、かつ、基本的に一見さんお断りのネットゲームにすることで、100万人単位のファンを切り捨てる
・ロマンシング・サガを筆頭とする過去のブランドを全部捨てる。
・新作のほとんどはFFのスピンアウト。

――だからねぇ。

新機軸といえばソーシャルゲームへの参入だけど、この世界ってブランドや技術力があんまり通用しないでしょ。実際、パチンコの亜種なわけだから、「パチンコの世界でFFが北斗の拳やエヴァンゲリオンに勝てるか?」って考えてみたら、勝ち負けが難しいってことは誰にでもわかりそうなものだけど。

つまるところ、スクエニが一番苦手としている土俵なわけで、そこで戦ってどうするのだと。パズドラみたいな臆面もないパクリをするだけの覚悟があるならいいけど、実際にソレをやったら、数少ないスクエニ信者も離反するだろうし。

しかし、「野村證券OB=使えない」ってのは、手前だけの偏見かね?

2013年3月26日火曜日

うわっ! もうセンバツか!!

いま日刊スポーツのサイトを見てビックリ。もうそんなシーズンなのね……。てか、済美vs広陵って第1試合から良いカードじゃん。もっともTVがないから見られないんだけどさ。

それにしても昨日のことのように思っていたWBCのバカ采配から、もう1週間になるのか。年をとると時がすぎるのが本当に早く感じるなぁ。

あ、書いてて思い出したけど、あのプエルトリコ戦でのダブルスチールを擁護する奴がいるってことには本当に呆れるね。あの策自体あり得ない手だったし、あの失敗が試合の流れを完全に変えた。「打てなかったから負けた」のではなくて、「決定的な逆転のチャンスを自ら潰して負けた」のであって、それ以上でもそれ以下でもないと思うのですよ。

そもそもアノ場面でダブルスチールに成功したとしても、1死2、3塁で4番を迎えるわけでしょ? 1塁は空くわけでしょ? そうなったら満塁策に持ち込まれるに決まってるじゃん! 不調とはいえ右打ちや犠牲フライならいつでも打てるだけの技術を持つ阿部慎之助選手を敬遠すれば、後は比較的楽な坂本、糸井、中田選手と続くわけだから、ゲッツーなり三振なりで料理できるわけで……。

えっ? 三塁まで埋まったら後逸を気にしてロメロ投手が落ちる球を使えなくなるって? メジャートップクラスの技術を持つモリーナ捕手を舐めすぎでしょ。

2013年3月25日月曜日

*読書メモ:校長は興銀マン 4年間の出向で学校が変わった

◆目次
●第一章:出向
●第二章:千葉黎明高校
●第三章:文化の違い
●第四章:生産ビジネス科
●第五章:読書
●第六章:進路指導
●第七章:法政大学との高大連携
●第八章:モンスター新入社員を生んだ学習指導要領
●付章:校長室だより
*注~~第八章までで88頁。付章は89~203頁。

・前校長との引き継ぎでは、A4用紙に「鍵の本数」と「2、3の事項」が記されたメモ1枚を渡されただけ。「運営はどうすれば?」の問いには、「好きなようにして下さい」とのこと。銀行では、担当レベルの引き継ぎでも現金、有価証券、契約書は当然のこと、懸案事項、各取引先との取引状況から配下行員の状況まで、事細かに行ったものだ。

・あまりのフリーダムさに驚き、他校の校長に聞いてみたら、「教員は校長になって初めて、自分のやりたかった教育ができる。だから後任を敢えて縛らないようにするのだ」とのこと。事情はわかるが、このような運営を続ける限り、蓄積したナレッジや文化も引き継がれることはない。千葉黎明高校でも、80年の伝統を感じさせるものは旧講堂と古い楽器といったハードだけで、学校運営のソフト面では何も伝えられていなかった。

・ビジネスの世界では社名はある程度重視されるが、学歴はほとんど顧みられない。一方、教師の世界では驚くほどの学歴が重視されている。某県教育委員会に勤務する友人曰く、「教員は勉強しないから、大学を出た時点から進歩していない。したがってどこの大学卒かを聞けば、その教員のレベルは大体見当がつくからだ」と。

・「教員の世界では勉強しつづけなくても何とかやっていけるという、理解しがたい事実があることに驚いた。生徒には『勉強しろ』と言っているのに、自分は別なのだ。しっかり勉強している教師と、そうでない教師が同列に扱われている。もちろん、不勉強教師は陰で馬鹿にされている。しかし、表面上は同じ処遇となっており、昇給のペースも変わらない。私がこのことに疑問を呈すると、かなりの数の教員から『そうはいっても、同じ仕事をしていますから、差をつけるのは難しいですよ」というネガティブな反応が返ってきて、逆に驚かされた」
(中略)
「生徒を評価するが、自分たちは評価されたくないという不思議な感覚が、学校の中では大手を振ってまかり通っている」(26~27頁)

・教育の質を向上させるには、教員にもっと勉強させる必要がある――と考え、様々な研修や研究会を実施してきた。大方の教員から肯定的な感想を得られたが、一方で「教師を生徒のように扱って、不愉快だ」と立腹した教員もいた。本当に勉強が必要な教員は、部活などを口実にはじめから顔を見せなかった。勉強する教員はさらに勉強し、そうでない者はほとんどしない。両者の落差が大きいことは、常に悩みの種であった。

・最後まで馴染めなかったのは、同僚に対して呼びかける「先生方」という表現。外部の人間に用いるのであれば、何も問題はない。しかし、校内行事などの後で、他の教員たちのように「先生方、本日はどうもお疲れ様でした」と語りかけるのは、どうしてもできなかった。どう考えても「皆さん」だろう。しかし、この用法は教育会では全く当たり前のことなのだった。

・「もうひとつ、最後まで理解できなかったことに、『根拠なき自信』がある。一例をあげると、着任して間もないころの会議で、いきなりあるベテラン教員から、『校長は企業にいたから汚いことをやっていたのでしょうが、学校は違いますよ』と切り出されたことがある。私は思わず机をたたいて、『あなたは、私がどういう仕事をしてきたか、知っているのですか。汚いことと言うからには、その根拠を示して下さい』と言ってしまった。彼の返事は『企業というのは、汚いことをするものです』だった。何をもって汚いことと言うのはについても、言葉をにごした。要するに格好をつけたかっただけかもしれない。しかし、この一件で、私は、何の根拠も示さず、自分の価値観で物事を一方的に決めつけることに違和感を覚えない人たちの存在を、初めて知った」(30~31頁)

・職員会議でこちらの提案に反対しておきながら、対案をたずねると、「それは管理職が考えることでしょう」と胸を張って答えたベテラン教員もいた。対案なしの反対など全く経験したことがなかったので、最初は冗談かと思った。しかし、このようなことに一々目くじらを立てて敵対していたのでは、学校は良くならない。教員という人種は企業人とは違う訓練を受けた(もしくは受けなかった)から、思考形態が異なるのは仕方ない――と割りきって対応するようにした。

・企業から学校現場に来てもっとも驚かされたのが、教員のほとんどが「価値をはかる物差しは一つしかないと信じている」という事実だ。教員たちはただ一つの価値、すなわち成績しか信頼しない。自分のささやかな経験でも、数万人が受けるFP試験で全国トップクラスの成績を収めた行員が、営業成績では行内下位だったという実例を挙げられる。テストの成績と仕事の力量は相関しない。しかし、教員はそう考えない人がほとんどだ。自分たちの知っている世界が、全ての世の中と共通していると思っているか、思いたいのだ。

・本を読まない教員はけっこう存在している。授業をルーチンワークと捉えれば、本を読まずともやっていけるからだ。教科書の解説は、教師用のアンチョコである『赤本』を読んでおけば何とかしのげるということも知った。しかし、それでは生徒が満足する授業はできない。中には堂々と「私は、子どものころから本を読むのが嫌いでした」と言い切った英語科の教員もいた。彼の報告書を読むと、まるで日本語になっていない。読書量の少なさは歴然としていた。

・国語科の教員が参加した研究協議会で、他校の『朝読書』という運動を知った。「これだ」と思ったので、早々に図書部長を呼んで、「来年度から、本校も朝の十分間の読書をやろう。ついては図書部が中心になって準備してほしい」と伝えた。返ってきた返事は、「そんな短期間での準備は無理。既に実施している他校の状況を調べ、校内のコンセンサスを図るには、1~2年の準備が必要」だった。

・「二ケ月も準備期間があると考えていた私は、認識の違いに愕然とした。銀行であれば支店内の作業手順変更のようなレベルだ。この程度の変更なら、準備に一ケ月かけることもない。世界中に散らばった支店や現地法人に説明するわけでもないのに、『一、二年の準備期間が必要』とはよく言ったものだ。しかし、これが教員の常識なのである」(49頁)

2013年3月22日金曜日

なぜ、<改憲>ではなく<廃憲>なのか? 都築の考え:付記

世間一般の<護憲><改憲>論争で焦点となっている「9条」について。手前の考えは、「9条2項をまるまる削除するだけで、基本的にはこれでいいじゃん」です。

9条2項では、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあり、これをそのまま読めば、自衛隊は違憲であり即刻解散すべきであり、自衛戦争も一切できないとしか解釈できません。なので、これは丸々削っちゃてよろしい。

「じゃぁ、9条自体はそのまま残していいの」って?

良いに決まってるじゃん! 

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条文は、1928年に批准した「パリ不戦条約」(=他国への先制攻撃の禁止)をそのまま敷衍したものであって、ようするに「二度と真珠湾攻撃はしない」ってことだから。条約破りをしない文明国であろうとするなら、基本線はこれでいいんでしょう。

いまの条文では、読み方によっては自衛権が担保されていないとも解釈できるので、「国権の発動たる戦争と」を「他国への侵略と」くらいに変えておく必要はあると思います。

つまるところ、第二次上海事変のときの蒋介石の如く、上海を囲むようにぎっしりとトーチカを並べ、75万人の兵隊を張り付かせたうえで、『来いよベネット!』とばかりに上海特別陸戦隊を攻撃するような「先に作戦計画を発動(=侵略)してきた敵」に対して、「反撃(=自衛戦争。第二次上海事変でいうところの拡大方針)」できるような条文であればOKってことですよ。

2013年3月21日木曜日

なぜ、<改憲>ではなく<廃憲>なのか? 都築の考え:その3

「憲法だの何だのといっても、日本は事実上、立憲君主制でしょ? だったらそれでいいじゃない」
「違憲だの何だのといっても、日本は事実上、国軍を持っているでしょ? だったらそれでいいじゃない」

つい半年ほど前まで、<改憲>を考える傍らでこのように考えていたものです。例えば「中共から国土を防衛する」という目的を達成するだけであれば、それこそ自衛権の解釈を変更するだけで十分に対応可能であって、<改憲>する必要なんてゼロですからね。

それに、日本国憲法でどのように謳っていようと、今の日本が事実上の立憲君主制国家であり、「天皇を中心とした神の国」(森喜朗©)であるってことは、心ある日本人にとっては自明のことでもあります。実際、草思社の方もこのように考えていたようです。

・兵頭二十八師のMIL短blogより■さぁ今日は朝から書店に新刊が並んでいるはずだ。書店にGo…ぐぬぬ!【2013-3-14作文】

>※今回の新刊のタイトルですが、小生のイチオシ提案は『立憲君主制のススメ』でした。せめてサブタイトルはこれにしたかった。しかし草思社内の会議で「日本は今でも立憲君主制じゃないの?」という人がおられましたそうで、それなら出版社のプロの方々にタイトルはお任せするしかないと思い、版元からのご提案『「日本国憲法」廃棄論』に賛成を申し上げたのであります。

で、↑のような共通理解をですね、日本人の大多数が未来永劫持ち続けることが確かなのであれば、別に<護憲>でも良い……いや、やっぱり良くないんですよ。

仮に日本が立憲君主制国家であるということを、大多数の日本人がわきまえているとしても、結局これって、日本人の間だけで通じる“阿吽の呼吸”と同じ類のものであって、諸外国の人にしてみれば、「何で憲法に書いていることを守らないんだ」ってハナシになるわけです。

「いや、憲法ってのは交通規則と同じようなものでしょ。40km/hの速度制限が事実上ザル法で、実態は60~70km/hの速度制限であるように、前文や1条もザル法みたいなものであって、実態として日本の君主が天皇陛下であることは疑いようのない事実なんだから、それでいいじゃん!」って?

だったら、その疑いようのない事実を事実として明記する。国家として諸外国に対して「ウチの国はこうだから」と説明したうえで、これを順守する。つまり、「公的な約束をしたうえで、これを守ること」。これを体現することこそが、一番大切なことなんですよ。

なので、「今の状態で問題ないからこれでいいじゃないか」という消極的<護憲>論は、文明国であればやってはいけない「公的な約束を、最初から守る素振りすら見せない」ということと同義であって、ある意味、<護憲>や<改憲>よりもたちが悪いといえます。

そもそも日本や日本人の性質について、諸外国の人間は、「厳しい交渉でもニコニコしていると思っていたら、いきなりキレた」とか「笑顔の裏で何を考えているかわからない」と指摘してきたものです。こうした態度は、我々日本人にとっては、ネット上における『遺憾の意』のネタや、東映任侠映画における「開巻1時間15分まで徹底的に忍従し、残り15分で大暴れする」という定番プロットなどに表わされるように、実に馴染み深いものだったりします。

しかし、あらかじめ自分の立場や考え方をハッキリと表明せず、臨界点を超えたらキレて大暴れするという態度は、諸外国の人間にしてみれば「単に不気味で信用できない」と感じるだけですからね。だからこそ、憲法廃棄→新憲法制定という形で、国体のあり方を国内外に明示し、この公的な約束を順守する姿勢を内外に示すことが大切なのだと、手前は考えています。

それに日本が立憲君主制国家であるということについて、国民の大多数が心得ているかといえば、つい3カ月前まで民主党政権であったことや、大統領制の実現――改めて説明するまでもないことと思いますが、大統領制とは、国王や皇帝といった君主を戴かない共和制の国が、有象無象の国民のなかから国家元首を選ぶための制度ですからね。仮に日本でこれを実現したならば、現在、ぼんやりとではありながらも確実に根付いている「天皇を中心とした立憲君主制」は音を立てて崩れるはずです――を目指す日本維新の会の躍進を見る限りにおいて、「どうやら怪しそうだ」と言わざるを得ないですし。

「いつの間にか、国会議員、それも『五五年体制』下では天皇制を擁護していたはずの政党に所属する国会議員の中にすら、日本国になぜ天皇が必要なのか分からぬらしい『選良』が増えている兆しがあります。一部は『五五年体制』の当時から、隠れたアンチ皇室派だったのでしょう。なさけない限りです」
「天皇という日本国家団結の中心が、こんにち、国会議員の心の中からも消えつつあることを、楽観的に傍観していてはなりません。わが国においては、その事態は、国会議員や国家公務員が、特定外国のスパイに志願することと同時進行するはずです。じっさい、その策動の一部は露顕しているでしょう」(39頁)

と、このように兵頭師が書いている通り、日本が立憲君主制国家である実態を忘れている人が増えつつあります。だからこそ、憲法の問題は「9条」にではなくて「前文」と「1条」にこそあり、これを革めるには<廃憲>しかなく、<改憲>では亡国の途へとまっしぐらに進むしかない――と、確信しているのですが……。

残念ながら、2013年春の日本において、<廃憲>論は核武装論よりもマイナーな扱いを受けていると言わざるを得ません。この状況をいかにして引っくり返し、<廃憲>を実現に持っていくのか? これまでは、「兵頭師のこれからの活動に注目だい!」で済ませてきたけど、今回は、一門弟として積極的にサポートする時が来たのではないかなぁ、と思っているところです。

2013年3月20日水曜日

なぜ、<改憲>ではなく<廃憲>なのか? 都築の考え:その2

「国状にあわせて憲法を変えるのであれば、<改憲>で十分じゃないか?」

つい最近まで、手前はこのように考えていました。実際、<廃憲>については、『「日本国憲法」無効論』(小山常実著。草思社)を初め、いくつかの<廃憲>論者の著書を読んできたものの、<改憲>論者から転向するまでには至りませんでした。

<改憲>を棄てられなかった理由は、つきつめると

①国家元首(前文、1条)、再軍備(9条)、いずれのウソを改めるとしても<改憲>で事足りるから
②遵法精神に富んでいるので、「悪法も法は法」という考えから、最高法規を無視できなかったから

の2つに絞られます。

兵頭二十八師の<廃憲>の肝であるところの、「立憲君主制にせよ!」の主張について、最も有効な反論の一つが、「<改憲>で実現できるんじゃね?」でしょう。実際、衆議院の憲法審査会では、こうした議論が進められています。今度の参院選で自民党が圧勝し、日本維新の会が<改憲>にノリ気になった場合、このような形で<改憲>が進む可能性も十分あり得るといえるでしょう。

・参考:「天皇は元首」で賛否=衆院憲法審も再開

仮に兵頭師が望ましいと考える基本指針である「日本国の主権は日本国の無私の総攬者たる天皇にあること」「天皇は無私であって無答責であること」(243頁)といった要素が盛り込まれ、理想的な内容の条文が練り上げられた上で、<改憲>が成ったとしましょう。実質的には「立憲君主制が名実ともに復活した!」ということになり、兵頭師の主張に賛同する手前にとってもハッピーな結末に見えます。

しかしですねぇ、これってやっぱりバッドエンドルートなんですよ。

結局のところ日本国憲法は、成立過程からいって、「国体変更を外国軍隊から強制された証拠」でしかないわけです。なので、これを基に如何に素晴らしい内容に改めたとしても、日本国憲法の改正規定に則って<改憲>を行なってしまったら最後、「国体変更を外国軍隊から強制されたこと」を完全に認めてしまうことになるってことです。

これでは、国防のため「安全、安価、有利」を目指して立憲君主制を明文化したところで、「日本は、我々が直接及び間接侵略により国体変更ができる国でしかない」と諸外国から公式に認められ、未来永劫、近隣諸国(=当面は中共及びその後継政権)からの間接侵略に怯え続けなければならなくなるわけです。「安全、安価、有利」を目指したことが、結果的に「危険、効果、不利」な状況をもたらしてしまう。まさに本末転倒ですよ。

「それでも日本国憲法は我が国の最高法規なんだから、これを順守するのが一国民としての正しいあり方なのではないか?」

失礼と不遜が服を着ているような男なのだから、せめて遵法的に生きることで、人様に迷惑をかけないようにしよう――という手前の信条からいえば、日本国憲法の<廃棄>は必要だとしても、やっぱり「悪法でも法は法」であって、<廃憲>ではなく改正規定に基いて<改憲>すべき……とも思っていました。

で、このように<改憲>論と<廃憲>論の狭間でゆらゆらと漂っていたなかで、兵頭師の新刊を読み、自分なりに<改憲>と<廃憲>の問題について考えてみた結果、「自然権を損なうような『明らかに間違った法』には、唯々諾々と従う必要はないのではないか?」ってことにようやく気づいたというわけです。

実際、正当防衛という自然権を一切認めていない欠陥法典にして、国体変更をしてはならないという国際法をも無視してつくられた“偽憲法”をですね、「悪法も法は法だから」と順守する人は、それこそ「お前は先生が『死ね』といったら死ぬのか?」というガキの理屈を笑えないと思うんですよ。

ここまで、手前が<改憲>論者から<廃憲>論者へと転向した理由をつらつらと書いてみました。が、このエントリを読んでいる方を含め、日本国民の大多数は、「<改憲>? <護憲>? どうでもいいじゃん。実態として国防軍たる自衛隊があって、実質上、天皇陛下を元首に戴いた立憲君主制になっているんだから、敢えて憲法をいじることもないんじゃないの?」という、無関心派および消極的<護憲>論者かと思います。

でも、それではダメじゃないのか? というハナシについては、明日改めて書くことにします。
(つづく)



2013年3月19日火曜日

なぜ、<改憲>ではなく<廃憲>なのか? 都築の考え:その1

タイトルにある通り、<廃憲>の必要性について手前なりに考えてみました。

まず、これから書くことの大前提として、以下の3条を掲げます。

・ひとつ。公人が公的な約束を破ったら恥じよ。
・ふたつ。無害な他者・他国に対して不親切な働きかけをするな。
・みっつ。有害な他者・他国からの干渉には必ず反撃の策を講ぜざるべからず。

兵頭二十八師の著書『予言 日支宗教戦争』からの引用です。この3条を正しいと認められない、あるいは全く間違っている、と思われる方は、以下の文章のみならず、当blogの全エントリを読む必要はありません。無駄な時間は使わずに、TVを見たり、2chを見たり、本を読むなりして過ごしてください。

この3条ですが、手前はいずれも正しく、かつ大切なものであると確信しています。そのうえで、この3条の中から敢えて最も重要な条文を挙げるならば、古今東西における諸々の法典と同じように、1条となるでしょう。

「公人が公的な約束を破ったら恥じよ」とは、どういうことか? 

手前の理解では、約束を守ることであり、守れない約束は最初からしないことであり、真っ赤なウソをつかないことであり、食言しないことです。これがあって初めて、人と人、国と国とのあいだで信頼関係が構築されます。

人間関係でも国際関係でも同じですが、人と人、国と国とのあいだで対等な関係を取り結ぶのであれば、まずは自ら、「公人が公的な約束を破ったら恥じよ」という姿勢を貫くことから始めるべきでしょう。そして、この考え方を我が国に適用するならば、あらゆる点において「違憲」の状態を作ってはいけない――ということになります。

つまるところ、文明国(=条約を破らず、政府首脳がウソをつかない国)を文明国たらしめている最高法規において、ウソをついてはいけないってことですよ。何しろ憲法は公的なモノのなかでも、最も公的なモノなわけですから。

さて、このように見ていくと、現代日本における最高法規である日本国憲法は、「どこをどうみてもウソまみれ」という結論が得られます。では、先進国として公的な約束を破らない……ウソをつかないためには、どうすればいいのか?

方法は2つあります。すなわち、

①憲法にあわせて国状を変える。
②国状にあわせて憲法を変える。

のいずれかを断行するということ。

しかし、①は事実上、取り得ない手段です。実際にやるならば、「主権在民とは共和制のこと。共和制を貫徹するためには、国家元首として大統領を置く必要がある。天皇陛下? そんなのはただの飾りです(略」「戦力を保持しないということは、自衛隊はもちろん違憲。即刻全て解散する必要がある」「公金を教育事業に支出しちゃダメなんだから、私立大学への助成金は全て廃止する必要がある」という、非現実的な政策を取らざるをえなくなります。

となると、日本が文明国であり続けるためには、②の「国状にあわせて憲法を変える」という手段を早急に取る必要があるといえましょう。日本国憲法を改めるか、日本国憲法を棄てて、新たな憲法を制定する必要があるということです。
(つづく)

2013年3月18日月曜日

無能、無能、無能!

準決勝まで行けたことが望外の結果だったから、「山本浩二無能説」を撤回しようかと思っていたのに、↓の記事とYouTubeのダイジェストを見て怒り心頭に発してしまいましたよと。

山本監督 相手の投手陣に勢いあった

>「ダブルスチールをしてもいいというサインだったが、二塁ランナーの井端選手のスタートが遅れて、ああいう結果になった」

【WBC】内川痛恨の走塁ミス!日本vsプエルトリコ

まず、8回1死1、2塁の場面で4番打者を迎えているところで、「走らせる」という手はない。弱小球団で4番打者が“繋ぐ4番”や“4番目を打っている打者”のような選手であれば、「走らせる」というバクチを打つことに1分くらいの理はあるかも知れないけど、阿部慎之助選手は全日本の4番だからね。いわば現時点で日本最強のバットマンなわけだから、ここは全面的に彼を信頼すべき場面。

百歩譲って「走らせる」ことをアリとしても、捕手はメジャーリーグ屈指のモリーナ選手なわけで……。肩が強いとか以前に、世界最高峰のリーグでギリギリの戦いを続けてきた選手の持つ勝負勘やハートを舐めすぎ。2軍や1軍半の捕手であれば、「意表をつく」ことで慌てることもあるだろうけど、こういう選手に「意表をつく」のは無理と心得ないと。

加えて、↑の言い訳。ダブルスチールを“してもいい”サイン? 単なるスチールならグリーンライトでOKだけど、ダブルスチールは“しろ”か“するな”しかサインはないだろうが!

って何か? 山本浩二はファミスタみたいに「Bボタンを押したら2人揃って走り、Aボタンを押したら2人揃って戻る」ものだとでも思っているのかね。ホント、バカじゃねぇの? 試合は一切見てないけど、今日の戦犯は打たれた投手や、井端、内川選手じゃない。誰がなんと言おうと山本浩二ですよ。

もういい加減外に出なきゃならんのに、なんでblog更新ごときに時間を費やしているのか。これでアポに遅れたら、手前が悪いんじゃなくて山本浩二が悪いってことにしておこう!

読書記録:科学本とノンフィクション2冊ずつ

●なんでコンテンツにカネを払うのさ?(岡田斗司夫、福井健策著。阪急コミュニケーションズ)

常識的なハナシを進める相手に極論をぶつけて困惑させ、自分のペースに持っていってから持論を広げる“ワザ”は相変わらず。ただ、肝心の持論が『FREE』から一歩も出ていないところが残念。全メディアアーカイブ(=プラットフォーム)の具体論は興味深かったけど、英語が公用語となっておらず、これから公用語にも成り得ない日本――英語圏以外で英語教育にこれだけ時間を割いている国は日本しかない!――が、世界共通のプラットフォームを発明するのは、どうあがいても無理だろう。それにしても岡田斗司夫氏のモノ言いが以前よりもつまらなく感じてしまうのは、手前が成長したせいなのか、それとも感受性が失われたせいなのか、それとも単に岡田氏が“劣化”してしまったせいなのか?



●大腸菌 進化のカギを握るミクロな生命体(カール・ジンマー著。NHK出版)

一般向けに書かれた極めてわかりやすい科学本。大腸菌の発見からその生態、遺伝子組み換えなどの実験における最も手軽な被験体としての役割から、人工生命の可能性など、大腸菌を通して生物全般の営みと科学の発展を語っている。文章も平易で化学式も出てこないことから、誰が読んでも理解できる内容。良書。



●地図の科学(山岡光治著。サイエンス・アイ新書)

同レーベルの他の本の出来から、ほとんど中身に期待しないで読んだが、2章まで読み進めるうちに、良い意味で期待を大きく裏切られた。序盤のコンパクトにまとめられた地図の歴史も面白いが、中盤以降の「地図の見方と作り方」に関するマニアックな解説が秀逸。正直、表紙とは裏腹に相当レベルの高い内容だが、「地図を眺めるだけで30~1時間は平気で時間を潰せる」ような人にとっては、このうえなく面白く読めると思う。



●校長は興銀マン 4年間の出向で学校が変わった!(安川周作著。学事出版)

今年読んだ本のなかでは屈指の面白さ。ごく一般的なビジネスマンから見た「教師社会の歪さ」の描写は、ほとんど『ガリバー旅行記』レベル!

2013年3月14日木曜日

週明けまでblogの更新を休止します

本当は、<廃憲>論に転向したハナシを書くつもりだったんですが、昨日からいろいろと予定外の予定が入りまくってしまって、ちょっと書く時間がとれそうにありません。というわけで、しばらく更新を休止します。

小林よしのり氏 虐げられた弱者が排外主義になる理由を説明

>昔は虐げられている労働者の多くは、左翼の運動家になった。資本家やそれと結びつく政治家など、体制側と戦った。ところが今はむしろすすんで体制側につく。自分たちを搾取している者たちを支持し、反体制を売国奴と罵っている。理由は虐げられすぎて体制側と対峙する余裕すらなくなったからではないか。

「反体制=社会主義」であって、絶対に国民を幸福にしないことがわかりきっているから。ソ連、中共、その他の社会&共産主義国家諸々、統制経済下の戦前日本に民主党政権下の現代日本……ことごとく不幸になった。それに旧大陸本場の左翼(国際主義の共産党は除く)であれば、根底に国家主義があるから容易に他国のスパイの手先にはならず、本来の意味での自由主義のアンチテーゼとして上手く機能する――年金、保険制度の改正や“まともに機能”する労組の結成などに寄与する――けど、日本の場合は、反国家主義ありきでの反体制なので、左翼のことごとくが他国のスパイの手先になるからねぇ。

言葉を替えれば、現代の若者は↑くらいのことを知っている(知識で知らずとも直感的にヤバイと感じている)程度には啓蒙されているということであって、多分、小林よしのりよりは賢いんですよ。

2013年3月13日水曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その23

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

今日は、兵頭二十八師の新刊『「日本国憲法」廃棄論:まがいものでない立憲君主制のために』のメインディッシュである第2部(=「押し付け」のいきさつを確認しよう)を紹介します。

「日本国憲法が占領軍から押し付けられて成立した」ということは、<改憲>論者のみならず、<護憲>論者でさえ認めざるを得ない歴史的事実です。第2部のタイトル通りに、このいきさつを確認するのであれば、当然、GHQが置かれた1945年10月2日以降からの記述になるはず――と思うものですが、兵頭師は19世紀後半にまで遡ります。

なぜか? 兵頭師は、日本国憲法の骨格となる前文と9条に通底する“世界平和”の概念が、「『貧困と戦争をなくすためには古い社会制度を破壊するのが正義だ』とする有力な思潮」(52頁)を淵源としているからとします。この社会主義的思想の影響が、20世紀半ばまでのアメリカの世界戦略に色濃く反映され、結果、立憲君主制を否定する“偽憲法”の「押し付け」に繋がったという主張です。

こうした「世界統一政府」という思想を明確な形に練り上げ、世界各国にあまねく広めたのは、H・G・ウェルズでした。彼は原子爆弾を予見し、その後に起こるであろう核戦争の荒廃から人類が立ち上がり、単一政府による世界経営によって戦争をなくすというストーリーである『解放された世界』を執筆。これが、原爆発明と国際連盟発足のカギとなり……と、紹介していくと、第2部前半のほぼ全てを要約するようなことになってしまいそうなので、ひとまず自重します。いや、それくらい中身が盛り沢山なんですよ。なので詳しく知りたい方は、Amazonでポチりましょう。

というわけでここでは、手前が新刊で一番興味深く感じたポイントである、F・D・ローズヴェルトに対する兵頭師の論評を紹介してみたいと思います。

ローズウェルトといえば、「第二次大戦時の大統領でニューディール政策を進めたアカ野郎」「スターリンや蒋介石と超仲良しだったアカ野郎」「日本人を猿扱いした人種差別主義者」程度の知識しか持ち合わせていなかったわけですが、兵頭師曰く、ローズヴェルトはアカ云々というハナシでは全然なくて、プロテスタント信仰こそが彼の行動規範であったとします。

「F・D・ローズヴェルトは容共的だとか、甚だしくは、コミンテルンに操られていたとまで近年の日本国内では言われるのを聞きます。けれども、<蒋一派は戦争能力のないゲシュタポであり、中共にこそアメリカの武器を渡すべし>と結論した『シナ通』の英雄スティルウェル大将をクビにしているローズヴェルトは、そんな単純な指導者じゃありません。ローズヴェルトは精神の支柱として監督派のプロテスタント教会をもっており、その心棒が揺らがないからこそ、ドイツを倒せる現実的に唯一の陸兵供給源であったソ連とも、自由自在に共闘ができたまででしょう」(83頁)

こうした「ローズヴェルト=敬虔なプロテスタント信者」という側面を、ジョゼフ・スティルウェル大将の日記と1941年1月6日に全世界に発信した一般教書演説(=「四つの自由に関する一般教書演説」)から紐解きます。

とりわけ四つの自由の演説の詳解は――

・敢えて大文字の「God」という単語を使って「信仰の自由を世界に広めることを目指す」と主張しているのは、非キリスト教圏にキリスト教を伝道したいというのが真意にあること
・パリ不戦条約には用いられなかった「アグレッション(侵略)」という単語を初めて使って、侵略戦争を非とすることを謳うとともに、これを実現すべく超大国アメリカの軍事力をもって各国の軍縮を目指すと主張していたこと
・ウェルズの主張する「新秩序」よりも偉大な「モラル・オーダー」「グッド・ソサイエティ」……すなわち米国のプロテスタント文化こそが、国家社会主義の野望や共産主義革命に対抗できる唯一の切り札であると主張していたこと

――と、初めて知ることばかりで文字通り目からウロコが落ちたものです。20世紀の歴史については、恐らく日本国民の平均以上に知っていると自負する――もっとも、下を見れば「日本がアメリカと戦争したって本当っすか?」みたいな層もいるので、偉そうに言えたことではないんだけど――手前にして↑の如しですから、この辺のくだりは歴史読み物としても水準以上に面白いモノといっていいと思います。

さて、このローズヴェルトに関するハナシは、個人的には第2部のさわりと思っていますが、全体で見れば、あくまでも10数ページを占める一エピソードでしかありません。ウェルズとの関係や、「四つの自由演説」が日本国憲法にどのように反映されていくかの論証や、自己正当化のマジックワードである「自存自衛」安易な使用がもたらした破局的な結末や、国体変更を飲まざるを得なかった戦後日本政府の苦渋など、軍師らしい洞察力と筆さばきを駆使して、わかりやすく、かつ面白い読み物として書ききっています。

日本国憲法を巡る研究書や論文、読み物は数多く出ていますが、その成り立ちについて、ここまで遡り、ここまで深堀りし、かつ読みやすいモノは、他にはなかなか見当たらないものです。今夏の参院選を控え、<護憲>か<改憲>かを巡る憲法論議が過熱化するなかで、もう一つの選択肢である<廃憲>を知る意味でも(もちろん<護憲>及び<改憲>派が批判的に読むことも含め)、この春必読の一冊として強力にオススメします。

2013年3月12日火曜日

畜生、野球中継みたかったナァ

なんでも桑田真澄の解説がベラボーに面白かったそうで。

以下、2ch芸スポ板、WBC試合後のスレより

~~~~~~~~~~~~~

93 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2013/03/12(火) 23:08:10.62 ID:1MmMxcf90
桑田語録
1 中 アウトロー大好きなんです
2 二 本多くんを早く使って欲しいですねえ
3 遊 井端くんは2番じゃダメなんですかねえ
4 一 阿部くんは東京ドームでのホームランの打ち方をわかってますねえ。ドームランというやつですね
5 左 ピンチで投げたいというのは、自分でピンチを作るということでしょうかねえ
6 三 相川君がマスクを被る最初のイニング失点するというデータがありましてねえ
7 右 流石相川君、良く考えてる
8 捕 (澤村は)リードのしようがないですよ
9 投 150kmのストレートなんていらないんですよ

308 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2013/03/12(火) 23:18:15.73 ID:pXkSdP390 [6/8]
こうだな

森福「ピンチの場面で投げたい」

自らピンチを作り出すw

桑田が「彼の言っている意味は、自分でピンチを作りだして、そこで投げたいと、そういう意味なんでしょうね」

実況板が大爆笑で、「桑田www」の書き込みで1スレ消化する

2失点を許すwww

8回に桑田が本当の戦犯は相川であることをバラし、もう相川君は使わないほうがいい
監督も真剣に検討してほしいと発言

実況民、みんな納得。相川批判始まる

337 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2013/03/12(火) 23:19:50.85 ID:XGnOJZY90 [3/6]
>>308
いやいや、相川が出ると失点するからコーチやスコアラーと相談するべきと言ってたぞ

400 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2013/03/12(火) 23:24:03.10 ID:xSSM8L8IO [2/2]
>>308
事実を歪曲するな
相川使わないほうがいいとは桑田は言ってない。配球を橋上らと今一度 話し合ったほうがよいと提案しただけだ。

私家版・兵頭二十八の読み方:その22

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

兵頭二十八師の草思社3部作――って、もしかしたら4、5冊と出るのかもしれないけど……――の最新刊にして、ここ数年に発刊された憲法論として最もわかりやすく、最も真っ当な内容の本である『「日本国憲法」廃棄論:まがいものでない立憲君主制のために」。

「なぜ、<改憲>ではなく<廃憲>?」というかつての手前のような方のために、今日は新刊の導入部を紹介したいと思います。

<改憲>がダメな理由について、新刊を読んだ手前の理解は、「日本国憲法とは、立憲君主制という国体を定めていた明治憲法を、主権在民という国体に変更した“偽憲法”のこと。この“偽憲法”の改正規定に則って<改憲>することは、“偽憲法”を追認し、ひいては立憲君主制復活の途を未来永劫閉ざすことになる」というものです。

「じゃぁ、立憲君主制ってどういうメリットがあるのよ?」

という疑問に対して兵頭師は、新刊の第1部(=自由と国防が不可分なことを確認しよう)で、キッチリ回答しています。というわけで以下、引用です。

「立憲君主制は、『特権は君主ひとりにしかない』と決めておくことで、その国家の内部に、長期安定的に『法の下の平等』を実現させるメリットがあります」
「君主の特権といっても、シナの皇帝や欧州絶対主義時代の王とは違います。国民が『そんなご無体な』と反発するような行状には、及べない。それが可視的な契約になっていれば『立憲』と言えます。もちろん、近代的な民本主義の一つです。そして偶然にも、古代から日本にあった天皇制とは、機能が似通っていたのです」(45頁)

「立憲君主制下では、将軍も、富豪も、宗教ボスも、組合幹部も、平民も、日本国籍をもっているなら皆、法的な権利・義務は平等です(国防の義務の対価として)。一時的には行政の長官などが大きな権力を揮うことも可能だが(緊急勅令・戒厳令など)、それは彼の特権ではないので世襲できません」(46頁)

法の下の平等の重要性については、改めて説明する必要もないとは思いますが、これがなければどうなってしまうのか? 具体的にいえば、手前はいつものようにblogを更新できないでしょうし、ちょっと稼いだら市長の部下あたりが、「テメェ、羽振り良さそうじゃねぇか。つーわけで、今年の税金は3倍増しな」みたいに私財を搾取されるようになるんでしょう。早い話、隣国みたいな暮らしにくい国になるってことですよ。

こうした法の下の平等に加え、君主が国の中心として存在することで、たとえ内乱を起きたとしても致命的な結果にはならず(タイ王国が好例でしょう)、クーデターを使嗾せんとする外国からの間接侵略にも大いに対抗できることも、立憲君主制の大きなメリットといえます。

「そのそもこの『天皇制』のおかげで、日本国民は、外敵や、その手先の有力な内部の敵があらわれたときにも、団結の中心を決して失わずに済んでいるのです」
「列島ぜんたいの独立と、列島内の自由を、日本人は千年以上も保つことが可能でした」
(中略)
「敢えてたとえるなら、『天皇制』の国家防衛力は、『国防軍』の数百個師団にも匹敵するでしょう」
(中略)
「日本人の自由は、ときにおびやかされたとしても、国内が分裂して人民がてんでに特定外国と結ぶような事態さえ起きなければ、何度でも樹て直すことができるでしょう」
(中略)
「天皇という日本国家団結の中心が、こんにち、国会議員の心の中から消えつつあることを、楽観的に傍観していてはなりません。わが国においては、その事態は、国会議員や国家公務員が、特定外国のスパイに志願することと同時進行するはずです。じっさい、その策動の一部は露顕しているでしょう」(37~39頁)

では、立憲君主制を失うとどうなるのか? これはフランス革命後のフランス以下、今日の共和制国家の歴史を見れば一目瞭然でしょう。建国時から共和制だったアメリカについても、兵頭師は以下のように指摘します。

「いうなれば、自然な団結の中心となってくれる『かれらの天皇』を決して持てないがゆえに、アメリカ人は、苦労して人工物である憲法理念などをことさら称揚しつづけねばならず、公共建築も古代共和制の標章となるアテネ風かローマ風を模さねばならず、あげくは教会で旧約聖書の歴史を己が身の上に継ぎ足して建国史イメージの神聖化までも演出しなければならないのです」
「そこまでしても国家分裂騒動はあり、南北戦争の危機を乗り切るのには七十万人もが内戦で死亡しなければなりませんでした。ちなみに、日本の革命内戦であった明治元年の戊辰戦争では、戦死者はぜんぶで一万三千六百人弱で済んだと見積もられています。日本列島に、団結の中心が、侵し難く存在していたおかげでしたろう」(41頁)

「一回、王様を追放してしまった国民は、二度と、この憲政を取り返すことはできません。その結果、共和制の諸国では、<平民の中から根拠の妥当性のない特権が生じ、その特権が世襲されたり、暴走したり、国民間の深い恨みの対象になる>という、内外ともに迷惑な事態が、起きたりするのです。どこからみたって独裁体制でしかなさそうな某国や某々国が、『ナントカ人民(民主主義)共和国』などと恥じらいもなく名乗っていられるのを見れば、近代以前から歴史の連続する君主をもてないということが、『暴走阻止ブレーキのない乗り合いバス』に似た状態であることも見当がつこうかと思います」(46~47頁)

以上、全体で50ページに満たない導入部となる第1部から、手前が気になったポイントを中心に引用してきましたが、本編が↑以上に面白いことは言うまでもありません。で、この導入部はあくまでも前菜でしかありません。本当に面白いメインディッシュは、第2部にあります。

2013年3月11日月曜日

<改憲>は亡国の途と知る――日本一早く兵頭二十八師の新刊を読んで

兵頭二十八師の新刊『「日本国憲法」廃棄論:まがいものでない立憲君主制のために』(草思社)を読みました。

◆目次
●まえがき:立憲君主制こそが特権の暴走を防ぐ
●第1部:自由と国防が不可分なことを確認しよう
●第2部:「押し付け」のいきさつを確認しよう
・H・G・ウェルズとF・D・ローズヴェルト
・国内専用で通用する便利語になった「自存自衛」
・アメリカ側の戦後経営準備
・新憲法草案を巡る攻防
●第3部:「改正」ではなく「廃棄」からこそ国民史が再生する
●あとがき:「日本国憲法」が日本国民を危険にし不幸にする

発売前なのに読んだとは、これ如何にって? いやぁ、実は昨日、買い物帰りに郵便受けをみたら、ちょっと厚めの封筒が入っていて、「この形は出版社からのものじゃないし、このあいだAmazonに注文したのはトレイシー・ウルマンのベストアルバムだし、どこからのものだろう?」と思いつつ開けてみたら、軍師の新刊だったわけですよ。

というわけで、ポカポカ陽気ながらも黄砂のお陰でとてもお散歩する気にはなれない日曜午後という、読書に最適なコンディションの下、半日かけて通読しました。

途中、昼寝を挟みつつじっくり読み終えて、真っ先に思ったことは、「これを含む草思社の3冊を読めば、兵頭流軍学の真髄を学べるなぁ」ということ。これまでに兵頭本を一冊も読んだことのない人は――

・『日本人が知らない軍事学の常識』を読んで、日本を巡る軍事及び政治上の課題と隣国の脅威の本質と現代における軍事力の意味をひと通り学んだ後

・『北京は太平洋の覇権を握れるか 想定・絶東米中戦争』を読んで、現在日本が直面している戦争の危機の実相と米中日における軍事ポテンシャルの“相場”を知った後

・新刊『「日本国憲法」廃棄論:まがいものでない立憲君主制のために』を読んで、日本の安全保障にとって本当に必要なファクターと、将来に渡って「安全、安価、有利」に暮らしていくために日本国民が為すべきことを知る

――ことで、兵頭流軍学の真髄を95%以上マスターできます。このことは16年来兵頭ファンをやっている手前が保証します。加えて3冊とも内容、文章とも極めて平易でわかりやすく、中学生以上の国語能力があれば誰でも理解できますからね。今からでも遅くはありません、未読の人は、これを機に兵頭流軍学をマスターしましょう!

……といっても、この新刊のタイトルを目にした多くの人は、「この人、ちょっとイカれてるんじゃないの?」と思ったんじゃないでしょうか。

日本国憲法については、9条問題を筆頭に様々な言説が巷に溢れていますが、これらの言説を思いっきりまとめてしまうと、結局のところ「<護憲>か<改憲>」の問題に収斂されるといっていいでしょう。もう少し言えば、「左翼が<護憲>を主張し、右翼は<改憲>を主張する」といったところでしょうか。

しかし、兵頭師は<護憲>は当然のこと、<改憲>も大きな誤りであり、絶対に許してはいけない! と説きます。「<改憲>でもしょうがない」とか「<護憲>よりは<改憲>のがマシ」みたいなヌルい言い方じゃぁありません。西村知美よりも数段強い調子の「ダメ、ゼッタイ!」ですよ。右翼とか左翼とかを超えたラジカルな主張にして、非現実的に思える主張ですからね。世間一般の人からは、アタマのネジが外れているように見えても仕方がない――と、16年来のファンである手前でさえ思います。

でも、兵頭師の説く<廃憲>の主張は、決して大向こうのウケを狙った突飛な言説なんかじゃぁありません。読めば納得、知ればこれしかない! と言わざるを得ない論なんですよ。

「(前略)本書は、日本人が『立憲君主制』を取り戻すべきであることを、強く主張いたします。そのためには、当用のマック(マッカーサー)偽憲法を『改正』などしてはなりません。改正は、国民史にとって、とりかえしのつかない、自殺的な誤りです。偽憲法は、まず廃棄するのでなくてはなりません」(9頁)

「『改憲』は、『一九四六年に日本人は天皇を守れなかった』という歴史を意思的に固定する行為になってしまいます。それは将来の日本人の『国防の意志』に対して、ぬぐうことのできない汚損を刷り込むでしょう。日本人によって一度演じられたそのような全面敗北は、将来また、起こしてやれるはずだと、外国人にも期待をさせてしまうでしょう」
「そんなどす黒い期待は粉砕してやらねばなりません。国体変更を外国軍隊から強制されてそれを呑んだという経緯をじぶんたちで完成してしまってはいけないのです。その経緯を、最後に、つまり今、逆転しなくては。それが、日本の将来の安全を確かなものとし、ひいては日本人の自由を約束します」(10~11頁)

まえがきからの引用ですが、<廃憲>論のエッセンスは↑の短い文章に凝縮されています。手前はこれを読んで、中学生の頃から四半世紀に渡って大事にしてきた<改憲>論を、キレイさっぱり棄てました。

なぜ、<改憲>ではダメなのか?
なぜ、天皇を中心とした立憲君主制が必要なのか?

答えは全て本書にあります。が、新刊を読んで蒙を啓かされた兵頭流軍学の一門弟として、手前がどのように憲法問題を考えていたのか? そして如何にして転向したのか? について連々書くことにも少なからず意味はあるだろう……とも思うので、明日(もしくは明後日)以降は、新刊の内容を紹介しつつ、これまでblogで書くことを意図的に避けてきた憲法のハナシについて書いていこうと思います。





2013年3月8日金曜日

井端の株が暴騰しすぎて草不可避

某所よりスマホにて更新。打てなきゃ打てないで面白いわ。パカスカ打っていたら、ああいう試合展開にはならないものね。それにしても今日の試合は井端弘和選手が全て。この活躍で、いつ引退してもメシに困ることはなくなった。それにしても何だこの入力方法は。字が打ちにくいなぁ。

いまの日本に閉塞感を感じるのも仕方がない?

昨日、YouTubeで邦楽ヒットのPVをつらつら見ているうちに、タイトルのようなことを思いつく。

どういうわけか? まずは今から半世紀ほど前、ナウなヤングにバカウケしていたこの曲を聞いてみてくださいよ。

・1960年、潮来笠/橋幸夫

グループサウンズはこの6~7年後のことで、当時はまだ影も形もなかった。もう少しモダンな感じなところでいえば水原弘あたりなんだろうけど、ともあれ、当時の若者はこれを聞いて喜んでいたわけですよ。

で、彼に続いて御三家がデビューし、グループ・サウンズが流行り、新御三家が出てきてニューミュージックを経て25年。バブル黎明期までに日本の音楽シーンはここまで進化した。進歩じゃなくて、あくまでも進化ね、進化。

・1985年、Romanticが止まらない/C-C-B

チェッカーズの方がメジャーだったけど、ようするに髪を立てて楽器を演奏するようなのが流行っていたと。この2年後にはTMネットワークが台頭してきて、5年後にはビーイング系が全盛期を迎え、ほぼ現在の音楽シーンの骨格が出来上がってくる。で、27年後のヒット曲がこれ。

・2012年、真夏のSound good!/AKB48

Google先生に「2012年 ヒット曲 ランキング」と聞き、売上枚数が一番の曲を選んでみたけど、トップ10はAKB48と嵐しかなかったので、多分、どれを選んでも同じようなものだったんだろう。C-C-Bと比べて進化したとは言い難い気が……。ちなみに手前は↑の曲を、今回初めて聞きました。

こうして改めて振り返ってみると、70年代に産まれた手前は、まだまだ日本が面白くなっていく過程をリアルタイムで経験できていたのだなぁ、と。ゆとり世代以降の子にしてみれば、「物心ついてからJ-POPといえば浜崎あゆみ」みたいなことになっているわけだから、ソレに比べれば随分幸せだったのかも。

『潮来笠』から『Romanticが止まらない』までの、停滞とは一切無縁な大進化から、一転して停滞が続くという傾向は、音楽に限らず文化全般――例えばTVゲームでいえば、ファミコン→スーファミ→PSという大進化ではなくて、PS→PS2→PS3という進化しか経験していない――に通じることで、こういった文化的に停滞状況にある現下の状況を鑑みると、「うん、確かにいまの日本に閉塞感を感じるのも残当」と言わざるを得ないのだろうなぁ。

2013年3月7日木曜日

いまでもこうだよバカヤロー

「覚えてる?ちょっと前までこうだったよね…」今の若い世代は知らないこと15例

よくよく見たら半分近くの項目について、リアルタイムでやっていることだったりする。ついこのあいだまで“ナウなヤング”のつもりだったけど、いまや過去に生きているということなのか?

1.ケータイメールの文字数に上限があった。
>携帯電話持ってないからなぁ。

2.目的地に行くのに、地図をプリントアウトした。
>いまもGoogle Mapで場所を探してプリントアウトしてるし。

3.友達と話すというのは、実際に顔を合わせることだった。
>え、違うの?

4.友達に電話すると、その前にその親と話す必要があった。
>もう親元から離れているか、物故してるからなぁ。

5.車で音楽を聴くためにCDRを焼いた。
>これはさすがにiPodで済ませてる。

6.データのフロッピーだった。
>USBの外付けドライブを持っていますが何か?

7.レポートの調べ物には、百科事典に目を通さなくてはいけなかった。
>書籍に当たるのは常識じゃないか。少なくともビジネスの現場で、典拠に「Wikipedia」とある資料を目にしたことはないぞ。

8.ちょっとした旅行には、この手のガイドを買った。
>この手のガイドは必須じゃないか!

9.番組表を知るには、新聞か雑誌を買うしか方法がなかった。
>TVを観ないから関係ないなぁ。

10.使い捨てカメラを重宝した。
>これはさすがにデジカメで済ませてる。

11.聴きたい音楽があるときは、ラジオからカセットテープに録音した。
>いまも現役だぞ、うちのラジカセは。

12.ダブルラジカセがクールだった。
>うちのラジカセは、ダブルカセットでオートリバースだぞ(ドヤァ

13.録音機器をテレビやラジオのそばにおいて直接録音した。油断してると、お母さんの「ごはんよー」という声も入った。
>TVを観ないから関係ないなぁ。

14.プロジェクターと言ったら、OHPのことだった。
>違うのか? 逆にOHP以外のプロジェクターってどんなのよ?

15.音楽の歌詞を知りたかったら、CD付属の冊子を手に入れるのが唯一の方法だった。
>これはさすがにネットで済ませてる。

そういえばこのあいだ、20代のエンジニアとハナシをしているときに、「ロータス123ってなんですか?」って言われて、ひっくり返りそうになったんだよなぁ……。そろそろ中年としての自覚を持たなきゃいかんということなのかね?

2013年3月6日水曜日

久しぶりの野球観戦

といってもユーストリームでライブ配信されていたWBC台湾vs韓国の動画だけど。日本代表の試合を一試合も見ていないのに、海外代表の試合を見るのはこれ如何に? と、思わなくもないし、知っている選手だって陽兄弟と国民的打者くらいだけど、やっぱり野球っサイコー、エキサイトしちゃう♪

【ニコニコ動画】山口弘美 「私の彼はジャイアンツファン」

名前も知らない&NPBよりレベルの低い選手の戦いであっても、ガチに試合しているサマを観戦するのはとても楽しい。8回で終わったのにはビックリしたけど、これは、予選突破が確定したら後は意味がない(得失点差や勝差は次のラウンドに持ち越されない)ってことなのかね?

あと、完全アウェー(甲子園の虎ファンよりも熱烈な応援&ブーイング!)で戦う韓国チームを観れたことも大きな収穫だった。こういう完全アウェーな状況って、他の試合どころか他の競技でもそんなにないものね。で、韓国代表の戦いぶりを観て思ったのは、「本当に逆境に弱いのなぁ」ということ。兵役免除がないから真面目にやってないってハナシなのかも知れないし、5点差をつけて勝つという無理ゲーに対する諦観があったのかも知れないけど、それにしたってあまりにも捨て鉢すぎ。粘りなさすぎ。日本代表や日本の選手団も、欧米選手に比べると恬淡としているように見えるけど、それ以上に勝ちを捨てているように見えたなぁ。

2013年3月5日火曜日

レプリケーターまであと何歩くらいだろう?

銃製造集団のDefense Distributed、AR-15用600連射可能の部品を3Dプリント

3年前、幕張の展示会で見た3Dプリンタについて、メーカーの開発者曰く、「プラスチック製のおもちゃは全てコピーできますよ」ってことだったけど、いまやおもちゃどころから車と銃まで完コピできるってことなのね。『007 Skyfall』で派手に壊されていたアストンマーチンDB5も「CGにしてはリアルすぎないか?」と思っていたら、実際には3Dプリンタで作ったものだったそうだし。

フィギュアとか模型には興味がないので、現時点で3Dプリンタを買おうとは思わないけど、もし、電子レンジや炊飯器程度の家電を完コピできる――当然、回路などもワンストップで作れる――モノが20万円台になったとしたら、お昼ごはんのグレードを落としてでも買うだろうなぁ。ここまでの技術の進み方を考えると、↑程度の実用化&コストダウンも10年後くらいには実現してそうだ。

2013年3月4日月曜日

読書記録:マシスンとムーアと野球マンガ

●奇蹟の輝き(リチャード・マシスン著。創元推理文庫)
●ある日どこかで(リチャード・マシスン著。創元推理文庫)

いずれも何度目かの再読。心がささくれだっているときには、こういうお話しを読んで気を静めるのが一番。クソ甘ったるいラブロマンスをクソ甘ったるいまま書いているにも関わらず、大の大人を心から感動させるマシスンの筆致は、文字通り当代一。2冊とも傑作。





●フロム・ヘル(アラン・ムーア著。みすず書房)

邦訳された直後から欲しくて欲しくてたまらなかったものの、2冊5000円超という値段に気後れしてポチれなかった本。このほどAmazonギフトを行使して中古本を購入。実はバリバリのアメコミを期待していたものの、中身はモノクロでわかりやすい巧さとはかけ離れた絵柄をベースに、衒学的で陰惨なハナシが延々と続くもので、「これは、どうだろうか?」と一旦読むのを中断。補遺Ⅱを読んでから、改めて精読した。といっても、一読しただけではよくわからなかったというのが本音。ある意味、ピカソの絵画のように“立体的”な物語なので、読み方をわきまえた上で、じっくりと再読するのが正しい作法なのだろう。





●グラゼニ・9巻(アダチケイジ著。講談社)

相変らずのテンポのよさ。ここまで巻数を重ねてきても、1試合をちんたら書かいてページ稼ぎしない潔さが凄い。よっぽどストーリーテリングに自信があるのだろう。それにしてもシーズン中の成績がうんこレベルなものの、プレーオフでMVPクラスの成績を残した選手は、NPBで近似例――2004年シーズンの西武・石井貴が一番近いけど、当時は投手陣のキャプテンで凡田とは立場が違う――がないだけに、来季年俸をどのように査定するのか? 非常に気になる。

2013年3月1日金曜日

スポーツが好きな人は、世界でも多くない?

スポンサー撤退…東京V、苦しい財政

欧州各国のフットボールリーグの隆盛だって“賭博”あってのものであって、一般大衆のほとんど全部が純粋なサッカーファンってわけじゃないでしょ。これは南米も同じ。アジアと極東についていえば、20世紀までスポーツをやる文化そのものがなかった。

世界で唯一、アメリカだけにスポーツを楽しむ文化が醸成されているように見えるけど、これもよくよく考えてみれば、銃火器が国民の隅々にまで普及するような文化であればこそ成立するものであって、つまるところ「いつ隣国が襲ってくるか」ではなくて「いつ隣人が襲ってくるか」を常に心配しなきゃならない移民国家だからこそ、その抑止力として銃火器と筋肉が必要なんであり、だからこそ自らの身体を鍛えあげるためにスポーツをする――。

というこじつけ文化論を思いつく。いやぁ、たま~に「日ユ同祖論」チックなハナシを考えて、心の奥に潜む「陰謀論が大好きなオレ」というキャラクターのストレスを発散させると、アタマがスッキリするね!